2017年9月15日

78.「今この瞬間を取り戻す」の続き


(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)

水を飲むシーンに戻りますが、喉が渇くのは体が脳に示す信号であり、物質界に在る体の欲求です。

その時「今この瞬間」の信号を感じているのは「右脳」です。(便宜上、今を感じる右脳としています)

この感覚を思考野/左脳が受け取り、水が欲しいという意識の動機が発生します。

過去に水を飲んだ時のデータから喉が潤う感覚を未来にイメージします。

そしてどういうタイミングで今している行動をストップして、水を飲む行動に移るのが状況的に好ましいのかなどを判断するうちに、どんどん「今この瞬間」から離れていきます。

「今この瞬間」から離れるということは、いつもの話ですが「いい感じ」をキープする主導権を自分から世間にゆだねてしまうことになります。

思考は過去と未来を行ったり来たりしていますが、体を維持し、守るための行為ですからこれを否定することはできませんし、しません。

ただ思考だけに任せておくと、現状の都合によっては、我慢したり好ましくないものを飲んでしまったりします。

時間がない上に、好みではない飲み物しかないが、それを飲むしかなかったとします。

そういうことになったとしても、この思考と感情は常に俯瞰する必要があります。

俯瞰することで、感情野は中庸中立に近づきますから、ネガティブな反応をしなくなります。

俯瞰されていない場合、感情はなされるがままに反応しています。

そして、思考が体を操作し、その体に水分を与えることだけの目的を果たします。

その時、飲むタイミングや飲み方などを工夫することで、体が喜びを感じ最良の感覚を右脳が受け取ることを忘れているか無視の状態になっています。

俯瞰しながら余裕の中で、決断さえすれば好ましい行動に移せるのですが、俯瞰することができなければそうなりません。


ここでもし、それらをもう一人の自分が俯瞰できている時は次のような流れになります。

ただ俯瞰しているだけですが思考が変化し始めます。

これは常に中庸中立なもう一人の自分が影響して、感情と思考のループが止まってしまうからです。

次に、そこに愛や感謝があるのかどうかを俯瞰します。

慣れてくると、意識して思考や感情のコントロールをする必要がなくなります。

飲むための最高の環境を演出するのが好ましいことを思考が自然に思い出します。

時間に余裕が生まれる方向に好循環のシンクロが起こり始めます。

そして最高に吟味された飲み物を用意します。

好ましい器に飲み物を注ぎます。

最終の目的は喉を潤すことですが、一挙手一動の「今」を楽しみます。

結果としての体と脳が受ける感覚は大きく変わってきます。

これに対して、ネガティブが好きな「左脳」ならこう言います。

「こんな小さなことまでこだわるには、時間が足りません」

そうすると、途中の工程を省いて、乾きを抑えることだけが目的になります。

シンクロも時間が足らなくなる方向へ動き出します。

思考だけに任せると効率だけを考えますから、飲み物を飲むまでの時間は短縮されますが、そのほとんどが「今この瞬間」から逸脱してしまい、ネガティブな感情を示していてもそれを修正する術/すべはありません。

ネガティブな感情を放置しておくと、ネガティブなアファメーションを続けることになります。

これもいつもの話ですね。^ー^

そして、思いの具現化にいつもブレーキをかけてしまい、ツキがない人になってしまいます。

そのツキを思考だけで取り戻すには、身を粉にするか誰かを裏切るかの選択肢が浮上してきます。

これは私の経験談でもあります。

ただ、水を飲むという行為ですが、人生という長いスパンと比較しても、その構造は何も変わらないことが伺えます。

小さなことの積み重ねが人生でもあります。

結果という目的に達するまでの「経過」がいかに大きなウエイトを占めるかは、体験することで分かります。

ポジティブをキープできればシンクロがその通りの変化を始め、結果は大きく変わるのが予測できるようになります。

結果ありきの世の中ですが、結果よりも「今この瞬間の経過」が大切という理由はこの辺にありそうです。


小さな一瞬一瞬を喜べる工夫が、「今この瞬間」を取り戻す一番の早道かもしれませんね。


「小さなことからコツコツと」  ですね(*´∀`*)