2018年1月3日

79.感謝は最強のアファメーション


(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)

アファメーションとは、心から肯定的な宣言をするというような意味ですが、何のために、また何に向かってアファメーションをしているのか、この真髄を知らなければ徒労に終わってしまいます。

私はこうなりたい、私はこうなるのですと思いながら何回アファメーションをしても、瞑想や祈り、マントラや呪文を何回を唱えても、簡単にそうはなりません。

そして、異次元ほか最新の情報を取り入れても、納得のいく結果が出ないことがあります。

かえって状況がネガティブな方向へ傾いていく場合があります。

これは私の体験談です。

何故そうなるのでしょうか。

それは、「今この瞬間」の自分や周りの状況に足らないものを未来に望むアファメーションをしてしまうからです。

???ですか。

この段階では、量子の世界、宇宙の構造や法則を今一度考察してみる必要があります。

全ては波動。

その想念が現実を創り出していること。

時間も空間も存在しない何でもありの世界。

限りなく自由で無限の多元性を持つ世界のことをです。

そして「今」という瞬間が、「今」という瞬間の中でただ変化しているだけであり、過去も未来もなく、どれもこれも「今」という瞬間でしかないという概念が、感覚的につかめるかどうかです。

これも???ですか。



アファメーションは肯定的に「私は今幸せである」と宣言するのですが、その行為そのものは「未来への望み」がなければ行いませんから、その時の心のあり方によっては、「欲している」「祈っている」が前面に出てしまいます。

望みを「宣言する」、または、状況が良い方向に進むように「祈る」ということは、今の状況に満足していないのですと思考した結果を表しています。

これは大きな失敗ですね。

「引き寄せの法則」や「シークレット」などを読んで、この状態に陥る人がどれほど多いことか、例にもれず私もそうでした。

今の感情が、次の「今」を具現化していることをすぐに忘れてしまいます。

もしここで、自分の「今瞬間」の感情を俯瞰することができていなければ、今、感情は物足りていないことを感じているか、自分ではない誰かに助けて欲しいという自己放棄的な苦しい感情があった場合、それを野放しに発してしまいます。

特に「祈り」という形式や儀式は、ネガティブを呼びやすいことがお分かりいただけるでしょうか。

パーフェクトの教えや情報を与えても、最後に「祈らせる」ことで簡単に元のネガティブ(怖れ)に戻せるわけです。

多次元のいたずら者はシャ-マンやチャネラーを通してここにつけ込んできます。

そして涙するほどの「教え」の中に、怖い怖い「予言」や「期待」を挟むのです。

「今この瞬間」思考に反応した思いや感情のような感覚を持続させるように現実は変化していきますから、望んでいる未来よりも今感じている不足感や苦しみのような体験が続けられるように現実は具現化されて行きます。

その根拠は、自らの意思で体験を重ねることで確実に分かります。

これは、他の魂との統合でもない限り、自分にしか証明できないものです。

そしてそのように、ただ「今という瞬間」が変化し続けます。

今までのパターンでは、期待感と挫折感が堂々巡りをします。

そこに落ち入ると運を天に任せて祈り続けるか、模索する情報に一喜一憂することになります。
これも過去の私です。



さて、スピリチュアルや最新の科学や情報に目覚めたとしても、次のステップでどうするのが最良で最短なのか、まだまだ模索は続きます。

模索中は初期段階であり、情報で頭がいっぱいになると、左脳はフリーズし、思考のループが始まります。

そうなると、人によっては非科学的と結論するほうが楽なので、思考を止めてしまいます。

これを打開する為には思考だけに頼らず、体験を中心に、科学的、統計学的に分析していく必要があります。

そして思考深層部に自らの経験として積み重ねて行きます。

次に、自分の内側と外側を共に、ただ受け入れ赦すことが不可欠になります。

我慢や諦めとは違い、ただ受け入れるという概念や感覚を持てるかどうかというところです。

違う角度から言うと、不満や不足な状況を思い浮かべても判断を下さず、感情が芯から平穏でいられるようになることでもあります。

瞑想中だけではなく、日常生活の中で、です。

それまでには思考の助けも必要になります。

何故かというと、自分が創った現実を思考で理解できるようになれば、思考野「左脳」が納得し始めるからです。

そうすると次に、誰にも責任を転嫁できないことが分かってきます。

そして、自分の「外ばかりにフォーカス」してそれを変えたいと思う時、今の段階ではその「望み」が如何に無意味なものであるかが分かり始めます。

自分の「内側」が変わらなければ、自分以外として見えている「外側」は、何も変わらないということにです。

自分を投影したものが他人であり、この世界です。

そこに気付けば、自分の「内側」への真摯なフォーカスが始まります。

その後、内と外のバランスを整える為にアファメーションをするということになります。

段階として、まずは自分からです。



また、集合意識の動きを問題視する人もありますが、これは個々の内側が統合されたものとして考えます。

集合意識は、自分の外側ではありません。

そして、個と同じように集合としての人類全体という、大きな現実を具現化していますから、個としてそこに悪影響を与えないようにしなければなりません。

これが真の意味での他者奉仕です。

このことから、自分やみんなの幸せを願う時、まずは自分の内側へのフォーカスを先にという結論になります。

これを自己奉仕と表現する人がいますが、言葉にまどわされない様にしましょう。

そうして自分の全てを赦し、愛することが出来たなら、第一関門突破という事になります。



突破後、その証として、外側だと思っていた世界が別世界になっていることが分かります。

こだわってアファメーションをする必要もないことに気付くはずです。

心境としては、ただ存在できていることに感謝する気持ちが大きく浮上してきます。

わたし的には「生きてるだけで丸儲け」と言ったほうがぴったりきます。

この言葉が心に浮かんだ時、私の中にはネガティブな感情が欠けらもないことを感じます。

それは、楽しい感覚と感謝の感覚です。

その感覚がアファメーションそのものなんです。



そして、それらの感覚をキープしていると、思いもよらないシンクロニシティーによって、もっともっと感謝してしまうような、嬉しいことが沢山起こり始めます。

多少のリバウンドがあったとしても「生きてるだけで丸儲け」なんだから「感謝感謝」。

いじめられようが、お金がなかろうが、何にでも「感謝感謝」ってウソでもやってみてください。

できれば笑顔で。(*´∀`*)

例え末期ガンを宣告されても、笑って「ガーン」って言ってみましょう。

泣いても、笑っても、癌は癌なんですから笑う方に賭けてみて下さい。

ポジティブな現実が動き出します。

私は7か月前、重症で一ミリも動かない左半身に一瞬パニクリそうになりましたが、笑ってみることにしました。

笑うとすぐに冷静になることができます。

笑い泣きでしたが。笑

話すことも不自由なので、仕事が出来なくなるのではと思いましたが、それはまだ存在しない未来のこと。

「で、今の瞬間はどうなの?」

と救急車の担架の上で自問自答していました。

「そういえば、救急隊員が介助してくれているし、今の瞬間困ることは何もない」

病院に着いても、

「今、どうなの?」

「今、今、今」

を、繰り返していました。

「今、点滴注射が1秒ほど痛かったぞ」

とか思いながら、笑っていられる「今」に感謝していました。

トイレもお風呂もパンツを下ろされて、いろいろしてもらえるのですが、

「さすがに、恥ずかしいのが今5秒ほど連続したぞ」

「で、10秒後の今はどうなんだよ」

「もう過去のことだ」

「今は快感に変わった」

「君は変態か!」

「そうではない」

「この快感は感謝の感覚だ」

などと自問自答しながら入院中の「今」という時間の中で、ほかの患者さんには申し訳ないくらい楽しんでいたのでした。

常識的には不謹慎な感ありですが、私が落ち込んでいる方がうれしいですか?

で、いくら思いが具現化するといっても、この物質世界では毒を食べすぎれば、体は必ず反応するということ。

また、体は自分が操縦する乗り物であり、借り物であることも再認識したのでした。

おかげさまで、病院では奇跡の回復と言われるほどの経過で、半年の予定が3ヶ月で退院。

今では車の運転も出来るようになっています。



こうして体にも感謝、病気にも感謝してしまうほどポジティブなシンクロニシティーが今でも続いています。

何があっても、ウソでも感謝。

できなければ、感謝のシーンを思い出してでも感謝。

そうすると、本当に必要なものが空から降って来るようになりますよ。

そして、また感謝が続きます。

今、感謝の気持ちほど強力なアファメーションが他にあるかどうか、考え中です。

最強の感覚。

「感謝」

それに気付いたことに    

感謝、感謝、感謝...........