2017年9月14日

77.「今この瞬間」を取り戻す


(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)

「今この瞬間」の思いや感覚、感情が自分の世界を具現化するという事実は、「引き寄せの法則」などと共に、少しずつ周知のものになってきました。

自分を「今この瞬間」に存在させることが、どれほど心の平穏と豊かさに繋がるか、そして時に歓喜するほどの喜びと数々のシンクロニシティー。

それは「今この瞬間」に留まることで、始めて得られる感覚と概念です。

でも、「今この瞬間」だけを一日中感じていられる環境を持つ人がいるのでしょうか。

小さな例で考えてみます。

私たちの殆どは、体が自らを維持するために、水分が足りなくなると体が欲するので水を飲みたくなります。

そうやって体は自分の思考に関係なく、信号を出してきます。

その、水が欲しいという欲求のような信号を出すのは意識の自分からではなく、自分が操縦している自分の体なのですが、その欲求から、喉が乾いたと感じることになります。

そして、誰でも無意識か意図するかして、何秒後か数分後に水を飲む行為を始めることになります。

最初に、水を確保できる状況を考え、水を飲むという近い「未来」に意識が向きます。

一般的には、ここで「今この瞬間」を逸脱するとエックハルト・トールは言います。

この時に指令を出しているのは自分なのですが、果たして本当に自分なのでしょうか?

何が言いたいのかお分かりでしょうか。

「左脳」です。

このブログでは、「左脳」は真の自分ではないと結論しています。

左脳だけで人生を過ごしているとすれば、完全に「今この瞬間」を逸脱していることはここまで繰り返し問答してきましたから理解できると思います。

でも、少しでも自分の思考や感情を俯瞰することが出来ているとすれば、「今この瞬間」をキープしながら未来や過去を思考することができます。

上記に重複しますがもし、自宅にいてのどが乾いたとしたら、水を飲むまでの様子は誰でも同じようなものだと思いますが、水を飲むために立ち上がるところから水を飲み終わるまでは数秒から数十秒はかかります。

この間、水を飲み終わるという少し先の未来、その未来の満足感を思い描くという思考状態になります。

エックハルト・トールは言います、数秒先にはコップに水をいれ、コップを口元に持ってくる間も、水を飲むことが目的ですから水を飲むという未来しか考えておらず、飲み終わったらコップを置くという未来のために動作をし、人間の行動は未来、未来とたえず未来に思考が向き「今この瞬間」を逸脱してしまうものだと。

確かにそのようなのですが、ただ目的を果たそうとしているその間の心情には人それぞれ大きな違いがあります。

自分を俯瞰しての行動かそうでないかの違いを含みますが、重要なのは感情がどう動いているかに全てが掛かっています。

満たされた心で乾いた喉を潤しているのか、水を飲まないとしかたがないから飲むのとでは自分の現実に大きな違いが出てきます。

このブログでは 「今この瞬間」 に在ることが、思いの具現化への早道であることは結論が出ていますから、その「在り方」にこだわってみます。

ここまでの説明から分かるのは、体が自分の意思には関係なく生存のために信号や欲求を発してくるということで、今という瞬間から逸脱してしまいやすくなるということです。

それを克服するには、自分の体のことをどう捉えるかも一つの要素になります。

体は自分そのものなのか、自分の所有物なのか、借り物なのかということです。

体は、寒い、熱い、痛い、苦しいなどを左脳に伝え、自分の思考ではおよびも付かないほどに機能し、そして思考が止まっても体は自分自身で生きようとする能力を持っています。

これが意味するのは自分の体とは、思考や感情を発する部分の自分と相互関係を持った物質界でのパートナーのようなもので、決して意識としての自分ではないということです。

これが5次元領域の意識体であれば考える必要はないのでしょうが、思考する自分もふくめて、生まれた時から体があるわけで、それを自分とするのが常識のようですが、死後の世界には持って行けない部分であるとすれば、それは生きた道具や衣装のようなものと捉える必要があります。

これに、俯瞰する自分や感情野の自分も含めて集合、統合されたものが自分全体を構成しているという感覚を掴めば、俯瞰や思考のコントロールに役立つものと感じています。


続きます。