2016年6月23日

53.捨ててはならないネガティブ

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)

前稿で、「一元性の世界」という表現が出てきました。

言葉だけで観るとネガティブなエネルギーがなくなった状態を思いますが、裏と表という意味での二元性は永遠に消えることはないと考えます。

私たちが創る恐れや悲しみによる世界の混沌は、思考が大きく作用し感情が二元的に揺れることが原因にもなっていることを学びました。

確かにその構造は理解できます。

でもそれを「真の原因」としてしまうと、不幸から逃れられない場合、自分の「質」そのものが「好ましくないもの」とイメージしてしまいます。

ここがそもそも自分を受け入れる上で、大きな障害になっています。

私たちは自分一人と大勢の他人という「分離」された環境に置かれている、と錯覚してしまうようなホログラムの中にいます。

これはもともと持っている「質」という「個性」がそうさせるわけで、二元性そのものがいいとか悪いとかではなく、自分の世界を具現化する時の思考方法に大きな問題があると考えます。

自分にとって最高の世界を具現化するためには、二元性の構造を深く知ることが重要課題です。

内側の探求を進めるにしたがって、この二元性がどれだけ「好ましい」ものかが分ってきます。

二元性の「質」そのものは変えられるものではないと考えますが、問題は「分離」という環境と構造です。

50稿から52稿までの考察をもとにすると、全ては自分そのものであり、あらゆる角度から自分を観察しているのですから、このことを忘れてしまったのが不幸の始まりのようです。

これは好ましくないですね。

この原因に、好奇心旺盛な自分である組が気付きました。

D組という嘘の真実を伝えてくるこまった存在があることにです。

世界というミラーボールの集合を支配し続けるために、分離的構造を強化させている別の自分がいます。

金融、麻薬、戦争、宗教と気付いてみればなんとまあ、彼らはネガティブの極致。

隠れてやられると、私のような鈍感には気付きようがありません。

そこまでして、と思うような手口には、悲しさをおぼえます。

彼らは愛に触れることがなかったんでしょうね、可哀想に。

さて、D組という自分、困ったものですが、どうしたらいいのでしょう。

自分ですから、切り捨てるわけにはいきません。

D組全員処刑なんてことをすると、D組と同じネガティブな自分になってしまいますから、また同じ世界を具現化してしまいます。

それは避けましょう。

どこか隔離された所で反省してもらうしかないですね。

世界や身の回りの動向を観ていると、その時期は近いように感じます。

それが遅延しないようにするには自分がポジティブな波動を出すしかないようです。

私たちは「分離」の構造が「ネガティブを受け入れる」ことで緩和され消滅することを、日常生活の中ですでに学んでいるはずです。

組という自分の酷い所業を、自分として受け入れられるかどうかに自分の未来がかかっています。

これには勇気が必要という人もいますが、自分の中に真の愛を育ててゆくしかないようです。

あわてないでも時間はたっぷりあります。

だって時間も空間も自分の思うがまま、自分で創るんですから。

だから間違っても自分のネガティブをエセ断捨離したりしないで下さいね。

正しい断捨離は、いらないものを忘れるまで一箇所に寄せておくという方法を取ることもあります。

肝に銘じておかないと、アセンションしたつもりが、またD組いっぱいの世界だったなんてことも。(^。^)

全ては波動です。

自分の世界は自分の波動で創る。ですねっ(^∀^)


今という瞬間をキープしていますか?