2016年1月2日

48.子猫事件

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)

前稿で自分に予告した「いい感じ」が掴めず、若干の悶々が数ヶ月も続いてしまいました。
そこに、突然現れ、記憶を取り戻してくれた子猫。
ポジティブな『いい感じ』をくれた子猫に感謝をこめて、詳細を書き残しておきたいと思います。

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夜遅く帰宅中、車の前方に白い小さなゴミ?

ちょうど、またいでしまう位置に。

ゴミとの距離も無くなってきたので、軽い気持ちでまたいでしまおうと思った瞬間、子猫である事を確認!

「しまったっ!」 祈りながら右へ大きくよけてブレーキ!

すぐに振り返ってみると、そのままの位置に子猫のぬいぐるみ?

いたずらか?と思いながら降りて近寄ると本物の子猫。

「なんで動かないんだろ?」

前足を立ててちょこんとかわいくお座り。

逃げないくせに、つまんで持ち上げたらパニックしている。(この時子猫の目は何も見えていなかったのです)

路肩に置いて立ち去りたいけれど、もう少し安全なところに移動させようと思い、助手席に置いて走り出す。

パニクリかたに元気がなかったし、まだ乳離れ前後の子猫を冬空に放り出すのもかわいそうだしなぁ、と考えているうちに自宅に着いてしまう。

車を降りて玄関の明かりに照らしてみて、今度は私がパニック。

重度の病気、緑色の膿/うみで両目がふさがった状態。

鼻や口の周りも目から垂れたウミでドロドロ。

すでに私の服や顔にもウミがぺたぺた。

はっきり言って気持ち悪い。

お腹はぺったんこで何も食べていない様子。

水や食べ物を口元に持っていっても反応なし。

さわるとパニクルので、小さな箱に古着を敷いてベッドの横にそっと放置。

朝、見てみると、箱に入れたときのまま。

死んだ?と思ったけれど、息はしている。

立たせたらなんとか立っているが、箱に入れたらまた寝てしまう。

次の日も同じく、寝るばかりで猫ミルクやエサに反応しない。

母猫は自力で受乳出来ない弱い子は見放します。

元に戻しても死ぬしかない、死ぬ運命か?

いろいろ調べてみると、寒空に風邪をこじらせた様子。

そして動物は病気になると、飲まず食わずで寝て治すらしい。

病院に連れて行くことも考えましたが、薬を信用していないので、賛否いろいろあるでしょうけれど、ここは猫の魂にまかせる事にしました。

死ぬのなら看取ってあげようと。

でもその前に、全ては波動、お腹の上に乗せて2~3時間、子猫と同化してしまうつもりでヒーリング、気を送ってみました。

三日目の朝、よろよろと歩き出しました。

猫ミルクをあげてみると少しなめただけで、箱に戻ります。

「死ぬつもりですか!?」

「君はミルクを飲んで元気になるんだからね。」

「でも飼わないからな!」とか言いながら出勤。

帰宅すると、なみなみと入れてあったミルクがカラッポ。

「おっ、生きることにしたんですね?」 嬉し涙が(;_;)

で、うみだらけの顔を前足で何度も何度も、ぬぐってはなめてを繰り返しています。

何日も飲まず食わずのはずなのに、、、どこにそんな元気が、、、、、、

小さな命とその本能に感動、バンザイしながらジーンときていました。\(^^@)/

その後、成猫用のマグロをすり潰してミルクと混ぜて試行錯誤の離乳食、オシッコ、ウンチあれやこれや。

そして、野良の子猫なのでしょうね、元気になるにつれ私から逃げようとします。

それにもメゲず 「ごはん食べまちたねぇ~、いい子でちゅね~」 気が付いたら自分の夕食も忘れて 「抱っこ嫌いなんでちゅね~」 60過ぎの男が、若いお母さんみたいになっていました。

ちょっと気持ち悪い。

五日目、うみと目やにがだいぶ軽くなって両目が明くようになる。

だんだん愛しくなるのだけれど、家飼いするつもりはない。

ここは海に突き出た森なので、外飼いにしても生きては行けるけれど、このサイズではカラスや鷹の餌食になってしまう。

誰かに貰って欲しいけど、病気ではちょっと。

いやがる子猫を膝に置いて「君が幸せになるには、どうちたらいいでちゅかぁ?」

すると、爪を立てながら、恐るおそるゆっくりと私の首もとまで這い上がってきます。

「なんじゃなんじゃ?、、、」

気持ち悪い顔で青鼻まで垂らしながら、初めて私に目を合わせたのでした。

じーっと見つめながら何か言いたげな顔。

そして小さな声で、初めての「ゴロミャ~~」

なんともまあ汚くて可愛いんでしょうか。

子猫の仕ぐさから、野良であることと、母親の記憶が十分にあるのが分かっていましたから、そのおそる恐るの「ミャ~」にはいろんな意味が含まれていました。

子猫の五日間の思いが私の中に一挙にダウンロードされました。

私の想像ではなく、子猫からのものでした。

この「ミャ~」ひと声で、拾ってからの苦労は吹っ飛びました。

「死なないでくれてありがとう」「ありがとう」「ありがとう」嬉しさのあまり子猫の青鼻にスリスリしていました。

でも「ありがとう」って、子猫が私に「ありがとう」なのに、なんで私が「ありがとう」なんだろう。

この五日間、飼うつもりもない子猫のことで頭はいっぱい、用事はできないし、寝不足にはなるはで愚痴をい言いたいぐらいなのに。

ハッ!その時、突然気付いたんです。

子猫を拾った時からず~っと「今という瞬間」から離れていなかったことを。

拾った日に、子猫と自分が同化していたこと。

二人の生と死、そして幸せについて考えていたこと。

子猫の死を恐れずに覚悟したことが、逆に確かな「希望」につながったこと。

四六時中、可愛いと思っていたこと。

数ヶ月前、自分の都合だけでペットを飼うのはよそうと決めていたこと。

この五日間、楽ではなかったけれど、本当に幸せだったこと。

子猫とその出会いに感謝する私、その私の存在を俯瞰しながら感謝するもうひとりの私。

猫と私と、もうひとりの私、三つ巴の感謝がループしていました。

「ありがとう」の言葉とともに涙で子猫が見えないくらいになっていました。

そして、再び、ハッ!

そうかっ!そうなんだ!最高の「いい感じ」は「ありがとうの気持ち」だったんだ!!!

そうしたら、これまでの人生のいいこと悪いこと、いろいろな出来事すべてに、まるで堰/せきを切ったように「ありがとう」の言葉が止まらなくなっていたのでした。


その後、子猫は素敵なシンクロによって、ご近所の最高のご家族、猫三匹の家で飼って頂けることになりました。

すぐに医者に見せられたようです。

薬はともかくとしても、プロの診断は必要ですね。

ということで、ひとり暮らしの私といるより、遥かに幸せな猫人生が送れそうです。


そして、子猫を手放した次の日、会社での会話。

   同僚 「ネコ、手放して寂しいんじゃないですか?」

   私  「いま手放しておかないと、鶴の恩返しみたいにならないだろ?(笑)」 

   同僚 「プッ、オスだったりして(笑)」

   私  「夜中にピンポーン、あの時の猫です。ってなるんだから、、、」

と、強がっているのでした。
           ↑ 寂しいといえばいいのにネ


で、その数日後12月25日の夜、子猫の余韻に浸っていたら、思いもよらない女性から数年ぶりの電話。

十年近く前にスキューバのパディーをしてくれていた方で、歳は私の半分足らず。

自立する魅力的な女性です 。

「お久しぶりです。あなたが私の写真に『ネコ耳』を落書きしたの、覚えていますか?」

ネ、、、、ネコ(◎o◎)!!!!!!

「懐かしい写真を見て、あなたを思い出していました。」

「今でも一人暮らしですか?」

「牛窓へ遊びに行ってもいいですか?」

「で、泊めてもらえますか  ♡  」
 
(((゜Д゜;)))! とっ 泊めてって言われてもあんた......

「だってあなたのこと、おとうさんみたいに思っていますから。」

ガーーーーーーン!!!(爆

まだまだ若いと思っている私には、複雑なシンクロです。

ポジティブに、魂レベルで対処したいと思います。

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以上、子猫~ネコ耳、本当の話です。

さて、この話の続きはどうなるのでしょうか。



「ポジティブなシンクロ」は「ポジティブないい感じ」から。

やはり 『今を感じる』 ですね。



続きます。