48.子猫事件
(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)前稿で自分に予告した「いい感じ」が掴めず、若干の悶々が数ヶ月も続いてしまいました。
そこに、突然現れ、記憶を取り戻してくれた子猫。
ポジティブな『いい感じ』をくれた子猫に感謝をこめて、詳細を書き残しておきたいと思います。
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夜遅く帰宅中、車の前方に白い小さなゴミ?
ちょうど、またいでしまう位置に。
ゴミとの距離も無くなってきたので、軽い気持ちでまたいでしまおうと思った瞬間、子猫である事を確認!
「しまったっ!」 祈りながら右へ大きくよけてブレーキ!
すぐに振り返ってみると、そのままの位置に子猫のぬいぐるみ?
いたずらか?と思いながら降りて近寄ると本物の子猫。
「なんで動かないんだろ?」
前足を立ててちょこんとかわいくお座り。
逃げないくせに、つまんで持ち上げたらパニックしている。(この時子猫の目は何も見えていなかったのです)
路肩に置いて立ち去りたいけれど、もう少し安全なところに移動させようと思い、助手席に置いて走り出す。
パニクリかたに元気がなかったし、まだ乳離れ前後の子猫を冬空に放り出すのもかわいそうだしなぁ、と考えているうちに自宅に着いてしまう。
車を降りて玄関の明かりに照らしてみて、今度は私がパニック。
重度の病気、緑色の膿/うみで両目がふさがった状態。
鼻や口の周りも目から垂れたウミでドロドロ。
すでに私の服や顔にもウミがぺたぺた。
はっきり言って気持ち悪い。
お腹はぺったんこで何も食べていない様子。
水や食べ物を口元に持っていっても反応なし。
さわるとパニクルので、小さな箱に古着を敷いてベッドの横にそっと放置。
朝、見てみると、箱に入れたときのまま。
死んだ?と思ったけれど、息はしている。
立たせたらなんとか立っているが、箱に入れたらまた寝てしまう。
次の日も同じく、寝るばかりで猫ミルクやエサに反応しない。
母猫は自力で受乳出来ない弱い子は見放します。
元に戻しても死ぬしかない、死ぬ運命か?
いろいろ調べてみると、寒空に風邪をこじらせた様子。
そして動物は病気になると、飲まず食わずで寝て治すらしい。
病院に連れて行くことも考えましたが、薬を信用していないので、賛否いろいろあるでしょうけれど、ここは猫の魂にまかせる事にしました。
死ぬのなら看取ってあげようと。
でもその前に、全ては波動、お腹の上に乗せて2~3時間、子猫と同化してしまうつもりでヒーリング、気を送ってみました。
三日目の朝、よろよろと歩き出しました。
猫ミルクをあげてみると少しなめただけで、箱に戻ります。
「死ぬつもりですか!?」
「君はミルクを飲んで元気になるんだからね。」
「でも飼わないからな!」とか言いながら出勤。
帰宅すると、なみなみと入れてあったミルクがカラッポ。
「おっ、生きることにしたんですね?」 嬉し涙が(;_;)
で、うみだらけの顔を前足で何度も何度も、ぬぐってはなめてを繰り返しています。
何日も飲まず食わずのはずなのに、、、どこにそんな元気が、、、、、、
小さな命とその本能に感動、バンザイしながらジーンときていました。\(^^@)/
その後、成猫用のマグロをすり潰してミルクと混ぜて試行錯誤の離乳食、オシッコ、ウンチあれやこれや。
そして、野良の子猫なのでしょうね、元気になるにつれ私から逃げようとします。
それにもメゲず 「ごはん食べまちたねぇ~、いい子でちゅね~」 気が付いたら自分の夕食も忘れて 「抱っこ嫌いなんでちゅね~」 60過ぎの男が、若いお母さんみたいになっていました。
ちょっと気持ち悪い。
五日目、うみと目やにがだいぶ軽くなって両目が明くようになる。
だんだん愛しくなるのだけれど、家飼いするつもりはない。
ここは海に突き出た森なので、外飼いにしても生きては行けるけれど、このサイズではカラスや鷹の餌食になってしまう。
誰かに貰って欲しいけど、病気ではちょっと。
いやがる子猫を膝に置いて「君が幸せになるには、どうちたらいいでちゅかぁ?」
すると、爪を立てながら、恐るおそるゆっくりと私の首もとまで這い上がってきます。
「なんじゃなんじゃ?、、、」
気持ち悪い顔で青鼻まで垂らしながら、初めて私に目を合わせたのでした。
じーっと見つめながら何か言いたげな顔。
そして小さな声で、初めての「ゴロミャ~~」
なんともまあ汚くて可愛いんでしょうか。
子猫の仕ぐさから、野良であることと、母親の記憶が十分にあるのが分かっていましたから、そのおそる恐るの「ミャ~」にはいろんな意味が含まれていました。
子猫の五日間の思いが私の中に一挙にダウンロードされました。
私の想像ではなく、子猫からのものでした。
この「ミャ~」ひと声で、拾ってからの苦労は吹っ飛びました。
「死なないでくれてありがとう」「ありがとう」「ありがとう」嬉しさのあまり子猫の青鼻にスリスリしていました。
でも「ありがとう」って、子猫が私に「ありがとう」なのに、なんで私が「ありがとう」なんだろう。
この五日間、飼うつもりもない子猫のことで頭はいっぱい、用事はできないし、寝不足にはなるはで愚痴をい言いたいぐらいなのに。
ハッ!その時、突然気付いたんです。
子猫を拾った時からず~っと「今という瞬間」から離れていなかったことを。
拾った日に、子猫と自分が同化していたこと。
二人の生と死、そして幸せについて考えていたこと。
子猫の死を恐れずに覚悟したことが、逆に確かな「希望」につながったこと。
四六時中、可愛いと思っていたこと。
数ヶ月前、自分の都合だけでペットを飼うのはよそうと決めていたこと。
この五日間、楽ではなかったけれど、本当に幸せだったこと。
子猫とその出会いに感謝する私、その私の存在を俯瞰しながら感謝するもうひとりの私。
猫と私と、もうひとりの私、三つ巴の感謝がループしていました。
「ありがとう」の言葉とともに涙で子猫が見えないくらいになっていました。
そして、再び、ハッ!
そうかっ!そうなんだ!最高の「いい感じ」は「ありがとうの気持ち」だったんだ!!!
そうしたら、これまでの人生のいいこと悪いこと、いろいろな出来事すべてに、まるで堰/せきを切ったように「ありがとう」の言葉が止まらなくなっていたのでした。
その後、子猫は素敵なシンクロによって、ご近所の最高のご家族、猫三匹の家で飼って頂けることになりました。
すぐに医者に見せられたようです。
薬はともかくとしても、プロの診断は必要ですね。
ということで、ひとり暮らしの私といるより、遥かに幸せな猫人生が送れそうです。
そして、子猫を手放した次の日、会社での会話。
同僚 「ネコ、手放して寂しいんじゃないですか?」
私 「いま手放しておかないと、鶴の恩返しみたいにならないだろ?(笑)」
同僚 「プッ、オスだったりして(笑)」
私 「夜中にピンポーン、あの時の猫です。ってなるんだから、、、」
と、強がっているのでした。
↑ 寂しいといえばいいのにネ
で、その数日後12月25日の夜、子猫の余韻に浸っていたら、思いもよらない女性から数年ぶりの電話。
十年近く前にスキューバのパディーをしてくれていた方で、歳は私の半分足らず。
自立する魅力的な女性です 。
「お久しぶりです。あなたが私の写真に『ネコ耳』を落書きしたの、覚えていますか?」
ネ、、、、ネコ(◎o◎)!!!!!!
「懐かしい写真を見て、あなたを思い出していました。」
「今でも一人暮らしですか?」
「牛窓へ遊びに行ってもいいですか?」
「で、泊めてもらえますか ♡ 」
(((゜Д゜;)))! とっ 泊めてって言われてもあんた......
「だってあなたのこと、おとうさんみたいに思っていますから。」
ガーーーーーーン!!!(爆
まだまだ若いと思っている私には、複雑なシンクロです。
ポジティブに、魂レベルで対処したいと思います。
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以上、子猫~ネコ耳、本当の話です。
さて、この話の続きはどうなるのでしょうか。
「ポジティブなシンクロ」は「ポジティブないい感じ」から。
やはり 『今を感じる』 ですね。
続きます。