2015年8月14日

47.目線をかえる

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)


この物質界すべてが波動であり多元性を持っていること。

これは、量子物理学、数学、さまざまな分野で解明されつつあり、それを無視してこの現実を語ることは出来なくなってきました。

そこにはしっかりとした法則があり、その中で私達は冒険や探求によって、数々の分野に法則性を見出してきました。

素粒子やテレポーションの実験その他によって、距離や時間の概念が大きく崩れ、今ではこの空間そのものが、ホログラム(宇宙の根源による意識の投影)であることの証明がなされつつあります。

また、そのホログラム内で限定された今までの物理法則、それを越え包括する法則がある事も同時に研究されるようになって来ました。

波動でありながら、このリアルな物質世界が何によって固定されているのか。

また、現実の奥にひそむ不思議、未だ解明されていないそれはいったい何なのか。

距離も時間も空間すらも無いところに、どうやって波動が存在できるのだろうか。

私はこれを、いったいどういうふうに理解すればよいのでしょうか。

ただ分かるのは、確かに私が存在し、思い、考え何らかの感覚を有していることだけです。

そしてまた、私の「顕在意識」だけがいくら頑張っても、これらの真髄を壮大且つ膨大な情報の中で、一人で解明する事はまず出来ないという事です。

あまり難しいことは考えずに、楽しくやるのが私の性格でもありますから、そうしていればいいのですが、シンクロの不思議と対面したときから、そうは行かなくなってしまいました。

このブログで何度も書いていますように、自分の願いが全て叶っていることに気が付いてしまったからです。

そしてそこには「意識が先、具現化があと」の法則があったことを。


話を戻して、この物質化した世界が、ある意味ホログラムのようなものであることは、意思の介在による素粒子の異変などが、その証明の一端にもなっています。

物質化前の波動ともいえるヒッグス粒子の発見は、益々そのホログラム的要素を強めることに成りました。

で、この世界がホログラムであったとしても、このリアルな現実が、私個人の創造物でないのは確かです。

私が生まれる前から存在しているものばかりです。

ここで「意識が先、具現化があと」の法則は一挙に矛盾が生じます。

最先端の科学ではこの矛盾を、「三次元のみでは宇宙が成り立たない」ことの証明と「多次元集合意識の存在」によって解決しようとしています。

例えば、重力の持つエネルギー量から、宇宙が多次元性を持たなければ成り立たない事になり、また数学の世界でも、すでに多次元性は計算出来るとされています。

この多次元性を持つ自己の集合(クラウド方式のようなもの)によって創られたホログラムの中で、私達は「今」の連続を体験しているという科学的な仮説があります。

またそれは、多次元自己という信じられないような同時存在の中で、意識によってあらゆる過去や未来(パラレル)を創造し、その一つのタイムラインを自らが選んで体験しているといいます。

実際に、幽体離脱などの現象が、脳内現象としての認識は学会でも崩壊しつつあり、人間は多次元性を持つものとして認識されるようになってきました。

今や、ヘミシンクなどによって幽体離脱の研究は世界的に大きく進み、また、三次元の体から離脱した状態で得た情報が、科学を進化させているという現実も起こっています。

これは、物理学者などのアカシックレコード(多次元全ての情報を記録したもの)へのアクセスが、今や否定できない事実としてこの現実に浮上してきたことにもよります。

スピリチュアルな世界だけではなく、科学の中に、神や人物の固有名詞、宇宙や地球の真の歴史などが次々に登場し、多次元と集合意識の構造などを解明しつつあります。

そして今、スピリチュアルも科学もが、宇宙の創造者は多次元自己の頂点「大いなるいちなるもの」を共通の認識として、融合する時代がやってきました。

両者が言う原則は、唯物論も観念論も当てはまらないパラドクス的な「意識が先、創造があと」、この認識が、普遍のものになろうとしています。

でも、三次元の「常識」では、これが反対に成ります。

検証してみれば、何もかもが反対のように見えます。

これらは、「死んだら終わり」、「死んでみないと分からない」今までの「常識」による論理からきています。

今やこれはナンセンスなものとして、人の多次元性は認めざるを得ないところまで来ています。

あの世という近い次元だけではなく、量子物理や数学で言う、銀河の十一次元(十三次元)までの存在があるとすれば、その多次元性の中で集合意識が複雑なホログラムを呈しているという論理は、科学的根拠を求める人であれば少なくとも否定することはできなくなります。

そしてそのメインとなるホログラムに絡むようにして、私達個々のホログラムも存在すると考えられます。

「複素二次元空間」の組み合わせによる説明が、このホログラムや分離の世界を旨く説明しています。

私達も含めたこの宇宙に広がる意識の集合によって、「今」という無時間無空間の中に具現化されたものが、私達とこの世界。

とすれば過去も未来もパラレルも同時存在するという論理も否定する理由が見つかりません。

その捉え方には多くの整合性があり、論理的なものであると考えています。

そして、それを創造する法則は、やはり「意識が先、具現化があと」になります。

このブログで取り上げているシンクロもまったく同じ法則です。

となれば、願いを「叶える」現象は、既にある過去や未来を「選ぶ」という行為とも捉える事ができる部分が有ります。

常識で考えると「そんな馬鹿な」ですが、シンクロの構造からは、その立ち位置でいる限り、「顕在意識の願い」はいつまでも叶わないことに成ります。

なので、この立ち位置から離れることが必要に成ります。

宇宙の原理とまったく同じ構造を持つシンクロニシティーの現象は、「今の感覚」をそのまま具現化していきますから、「今満足していない」という立ち位置からいくら願っても「今満足していない」感覚は、シンクロによる具現化によって持続されます。

前稿でも考察したように、自分の欲求は自分が受け取る感覚や感触そのものであり、自分が好む感情の変化を自分に「期待」するようなものでもあります。

「期待」はネガティブ。

放置せずに、分かっている状態「希望」に変えたいところです。

この認識を踏まえて、立ち位置を替えるとすれば、ちょっと極端ですがこの三次元空間から「意識」を離してしまう必要がありそうです。

死後、そうなるという考えがありますが、シンクロを信じるならば自分の持つ波動が変わらなければ、死んでもまた同じような世界が待っている事になりそうです。

だから私は何回も転生して、同じ事ばかり繰り返しているのかもしれませんね。

すこしぐらい進歩してるんでしょうか。

いい年こいていますが、いつ死んでもかまわない、なんて言えなくなってきました。(笑)

さて、どうすればいいのでしょうか。

この三次元というメインホログラムの中で、個々が持つ狭い範囲でのホログラムがあるのはシンクロの観察によって分かります。

思いの波動が比較的狭い範囲には、容易に影響しますが、メインホログラムにはその思いの波動はなかなか届かないようです。

例えば物理の法則を変えて、鳥のように空を飛びたいとか、直ちに戦争を止めるなどなど。

このことで「何をしても世界は簡単には動かせない」という「立ち位置」を創り上げてしまいます。

この立ち位置ではシンクロの法則通り、世の中が大きく変わる事はありません。

しかし、考え方次第で見え方は大きく変わります。

実はこれがクセモノでもあるのですが、長くなるのでここでは割愛します。

シンクロによって狭い範囲のホログラムを替えて自分だけの幸せをキープできたと思っても、メインホログラムが変化することにならなければ、その圧倒的な力で、最後には駆逐されてしまいます。

シンクロの論理が破綻してしまいそうですが。

「常識」で創り上げている自分の世界を変えるには、「常識」とは反対に考えてみるしか在りません。

「自分は多次元的存在」
「自分を多次元から見ることができる」
「自分の性別は決まっていない」
「他人やこの世の全ては全部自分」
「今の不幸に大満足と感謝がある」
「今はリアルな夢の中にいる」
「自分は神が体現化したもの」
「いつでも超スーパーマンになれる}

これだけあれば、けっこう「常識」から遠ざかりました。

これを口に出してしまうと、ただの変人です。(笑)

煩悩の多い私は、俯瞰・客観的に自分を見る上でこの感覚をやしなうことが必要なようです。

そうでないと目線が変わらないからです。

目線が変わらないという事は、立ち位置が変わっていません。

私の場合、今の立ち位置を少しずらさなければ、現実は変わらないと感じました。

これはホログラムとシンクロがもつ、シンプルな特質だと考えます。

なってもいないのに、なったつもりにならないと、そうならない。

難しく考えるとめんどくさい話ですが、私はこれを楽しむようにしています。

「常識」では、まわりがいい感じになれば、自分もいくらかはいい感じに成ります。

シンクロの法則では、自分がいい感じにならなければ、周りはそうなりません。

ただ、自分だけいい感じのホログラムも、よほど波動が高いか強いかでなければ、長持ちはしない。私のことです

これはシンクロの特質というより、分離の思考構造が生む特質だと思われます。

そして立ち位置が同じだと、ある時、集合意識のシンクロにのみ込まれてしまいます。

そしてまた、「楽しいネガティブ」で創り上げた自分の土台が、元の立ち位置に引き戻そうともします。

これらの障害や障壁を乗り越えるには、一朝一夕にはいかないのが現状です。

だとしても、シンクロの法則を考えると、一旦常識から離れ、違う立ち位置・次元に身を置いたところから自分を俯瞰するのが正攻法かと思われます。

スピリチュアル的に表現すると、三次元から五次元にアセンションするスタンスではなく、すでに五次元から三次元を見ている目線でなければ、シンクロの法則に異変が起こらない限り、三次元という重たい現実から出る事は出来ないということになります。

言い換えれば、「分離」や「恐れ」の思考構造を持ったままの願いは、シンクロの法則ではその「恐れ」が持続する環境を創り続けることになるので、五次元にはいつまでも到達できない状況を自分が創り続けることになります。

真実の探求とともに、「恐れ」を手放すことの重要性がここで大きく問われます。

ライトワーカーと言われる人たちの第一の使命は、ここにあるように思います。

ほんとはみんなライトワーカーだったりして。(^▽^)

また、三次元から見ると、このタイムライン上の真実は一つですが、五次元目線になれば、真実は一つではなくなります。

個人、集合意識それぞれの選ぶものが、シンクロの法則によってそれぞれの真実は、それぞれに具現化され得る可能性があることを考慮する必要があります。

そうすれば「真実」という言葉の概念そのものを、多次元的に捉える考え方に変わります。

「真実」は最初からあるものではなく、創るもの。

もしくは創造した数ある「真実」を後から選ぶことになります。

「常識」では考えられないことですが、シンクロの法則ではこうなってしまいます。

そして、アセンションとは先駆者たちが残した歴史と経験の中から、「恐れ」を含まない、これぞという最良の真実を選択し、その真実に私達が創る新しい真実を融合させることではないかと考えます。

その新しい真実とは、自分だけが悟るのではなく、身近なものを助けながら最後にはみんな一緒に、というものではないでしょうか。

でも、まずは自分からですね。

もし、宗教やスピリチュアルなストーリーの中に、ポジティブな真実を見出そうとするのであれば、「期待」や「依存」という餌でネガティブに引き込まれない、また、ウォークインや不思議な現象を波動の高さと勘違いしない、しっかりとした立ち位置が必要かと思います。

以下、黄色はハートの贈りものさんの言葉をお借りしました。 http://blog.goo.ne.jp/narudekon/c/4488338721b5d669c75f3896d18b71f1

一番重要なのは、結果よりも、意図。 次が手段。
そして、本物は、私たちがもつパワーを私たちに気づかせ、勇気を与え、自立を促してくれます。
あと付け足すとしたら、私は、闇だろうが光だろうが、信者にはなりません。盲信はしない。
常に、醒めた視点は持っています。ただ、冷たい醒めた視点ではなく、温かい醒めた視点でありたい、そう願っています。

何よりも「意図」することの大切さ、そして「依存」しない、「暖かい醒めた目線」の中に強い信念を感じます。 このスタンス。 私もこうありたいものです。

私も同じく自分の外側への探求も、内側と同じく大切なものになっています。

経験から、自分の内側であるネガティブの土台と、外側である情報、この内と外へのフォーカスバランスを最良に保たなければ、どちらに偏っても、ネガティブ「恐れ」が生じることを知りました。

内、外のバランスがカナメです。

これは人類を超える大きな世界にも個人にも、同じように当てはまるものと考えます。

そして、それもこれも、お馴染みのセリフですが、全ては「今を感じ」「今に在る」事が鍵になってきます。

「考えないで感じる」そして、「考えてまた感じる」バランスです。

それには、いくらかの「指標」があります。

   毎瞬が直感的に「いい感じ」ですか?

   そして、ちゃんといい息してますか?

   からだ、固まってませんか?

前稿の繰り返しになりすが、常識によって作りあげた価値観が含まれる「いい感じ」「わるい感じ」という「感覚」を「直感」と勘違いしないことが最重要になります。

これをどこまで掘り下げるかで、立ち位置と具現化の内容が変わります。


最後に

三次元目線・常識目線では真実は一つ。

そのスタンスで模索をはじめると、真実を見失う可能性が出てきます。

たどり着かないかもしれないものには「期待」しなければ先へは進めません。

「期待」はネガティブです。

それを否定されると、当然のように「恐れや怒り」のネガティブな感情が生じます。

これが認識できれば、「期待」が「希望」に変わるチャンスです。

五次元目線では真実は数多く存在します。

その中から最良の「いい感じの真実」を自由に選ぶ、または創造します。

「好奇心」と「希望」によってあらゆる方面、内と外へのバランスのいい探求・冒険が始まります。

そこに「怖れ」はありません。

そしてポジティブベースの「いい感じ」をキープすることになります。

「いい感じ」

シンプルです。

それだけなんです。

って、今日も自分に言い聞かせてみました。


次回この「いい感じ」を具体化してみます。

そして、シンクロの方向を大きく替えてみたいと思います。



私はこれを課題としてシンクロニシティーを取り上げています。

自分のために、自分との対話を記録として書き、これをブログにする事で身近な仲間とのコミュニケーションにも利用しています。たった数人です。

あくまでも私的なブログですが、一日のアクセス数が数百にもなることがあり、インターネットの凄さに戸惑いを感じています。

人はそれぞれに真実を創り、その真実の中に身を置いています。

ですので、私は誰の考えも否定しません。

こういう考えもあるという程度で、気楽に傍観していただけたら幸いです。(*^_^*)