2015年2月15日

32.素直で正直を楽しむ

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)


自分の「思考深層部」に焦点を当て、今までに刷り込まれてきたネガティブと対面した時、素直に手放すことができない時があります。

誰しもそうですが、私にもいろいろな習慣や癖があります。

これは自分の個性でもあり、時としてこの習慣や癖に良し悪しの判定を付ける場合があると思います。

この、悪いと思う方の習慣や癖を、悪いとしてしまわないでおくことが肝心です。

そうでないと自分を「否定・批判」してしまうことになり、ネガティブなシンクロへとつながります。

そして、自分を愛しているとは言い切れないことにもなります。

習慣や癖と同じく、自分の能力や容姿に対するコンプレックスも同じ種類のネガティブになります。

自分の好ましくない部分を「気にする」「カモフラージュする」、場合によっては自分を「避難する」という「思考」や行動を程度に差はあれ、誰しも行っています。

人目が気になるという小さな「恐れ」、二元性においてのネガティブです。

ネガティブの大きな原因でもある「誰かに比べて」という基準を、自分の中に無意識のうちに蓄積しています。

せめて人並み、もしくはそれ以上に見られたいという「基準付き欲求」そのものなのですが、自分を愛していない証拠になります。

それはこれまでの問答で、結論の出ているところです。

となれば、二元性においては多くの人がネガティブということになりそうです。

また、ネガティブの連発になってきましたが、これも学校や社会、メディアなどにより刷り込まれてしまっただけのものなので、仕方がありません。

本当は、人から見て、良かろうが悪かろうがそれが在るがままの自分なのですが、低い評価をされると損をすることがあるので、どうしても「基準付き欲求」のような願望を抱いてしまいます。

「批判」も「基準付き欲求」も完全にネガティブと判断できていますから、できれば無いに越したことはありません。

そのほうが圧倒的にポジティブなシンクロが起こりやすいからです。

さて、どうしたらいいのでしょうか。

私の場合、「左脳」の雑音を止めるために「今」という瞬間にどういう感覚であるかを絶えず確認しています。

「今」機嫌が良いか悪いか、又は楽しいか楽しくないかの確認です。

具体的には、1時間か2時間に1回数秒程度、どんなに心が動揺していても思い出したように、「今」瞬間の機嫌(感情)の具合を観察しています。

いつの間にか「今」を感じることが習慣になりつつあります。

これまでの問答で、「今」という瞬間に、表層部と深層部の「思考」が一致し、なおかつ「感情野」の感覚が伴なった時に、願いが叶うシンクロが起こるということを考察・説明してきました。

これを信じるとすれば、「今」楽しいか、機嫌がいいか、ワクワクルンルンしているかなどが重要になります。

まあ一日中ワクワクルンルンもないでしょうけれど、表面的なものではなく、「今」していること(作業や遊び、勉強、会話)などに、「喜び」という「裏付け」があるかどうかです。

また、決して享楽・快楽的な軽い楽しいではありません。

「ひょっとして無理かも」 のように、否定的なドヨ~ンが混じると、困るという小さな「恐れ」が発生します。

油断(今を忘れる)をしていると、この小さな「恐れ」の積み重ねによって、ネガティブなシンクロへと移行していきます。

もったいないです。

「今」を感じるために、勉強や仕事中にいちいち瞑想をしているわけにはいきませんので、時々数秒間、自分の息の音を感じたり、周りの音や光を感じたりして「過去」「未来」の「左脳」を休めて「今」を感じる「右脳」を活性化させます。

「左脳」が静かになると、「今」を感じる中で客観視している平穏で冷静な自分が登場してきます。

ここからです。

「思考」だけでは前へ進めません。

「感じる」しかないんです。

この静寂の中に佇(たたず)むような、冷静な自分が微笑むかどうかなんです。

それは、素直に「意図」しているかどうかが要になります。

善悪には関係なく、素直に悪いことをしたいか、良いことをしたいか、もしくはどちらでもないか。

深層部の否定や自分へのごまかしがない正直な願望であれば、そのままシンクロが起こり始めます。

ある場合には話しながらや、考えながら「今」を感じている時がありますが、その場合、都合が悪いことに、感じたことや考えていることが全部、口や態度に出てしまうことです。

誤解を受けないように、うまく立ち回ろうと思っても出来なくなってしまいます。

要するに、隠し事が出来ない状態です。

「左脳」が休憩し出したら、損得勘定がなくなってしまうのが自分で分かります。

やってみたら分かりますが、隠しておかないと都合の悪いことでも隠せなくなってしまいます。

「左脳」の鎮静もしくは「右脳」の活性によって、隠し事が出来なくなれば、悪いことを企むことが出来ないことになります。

これは面白い発見でした。

話は飛びますが、一万年も続いた縄文時代の文化は「隠せない、隠さない」、まさにこれだったんだという確信を掴んだ瞬間でもありました。

そしてもし隠せているとしたら、完全に損得勘定専門の「左脳」オンリーの状態にもどっています。

初めのうちはこの「正直」が原因で多くの誤解を生み、トラブルが多発します。

正直なのに、おかしな話です。

しかしそれは外の世界の変化だけで、自分にはトラブルは降りかかってきません。

ポジティブなシンクロを起こしたいのに、「心」の葛藤を強いられてしまいますが、そのあとが面白いんです。

何もかもが好転します。

私の場合、いろいろなシーンで、自分を繕(つくろ)う若干の姑息(こそく)な立ち回りや言動がなくなると同時に、「基準付き欲求」や「批判・否定」の気持ちが薄れ、数々の小さな「恐れ」も軽くなっていきました。

このことで、タイムラグはありますが、とにかくポジティブなシンクロが絶対的に多くなるんです。

そして、「今」に感じることは、平穏、安心、豊か、喜び、時に歓喜。

まるで、今までの世界は自分が創った幻想であったかのようにです。

いえ、そうではなく、ある意味、自分で創造しているんです。

そこに気が付けば、「正直すぎると誰かに足をすくわれるよ」と言っていた「左脳」が、もう一人の自分との対話を受け入れ、余計な「恐れ」を演算しなくなってきます。

以上は私の体験談ですが、正直すぎることに限度はないみたいですよ。(^_^ )

ただしこの場合の正直は、全てを話してしまう「バカ正直」ではなく、ごまかしやネガティブな意図のない「素直な正直」のことですから、誤解の無いように。

二元性においての「恐れ」を克服する早道は、「素直で正直」をとことんやってみるしかないと思っています。

そうと決まれば、自分にも周りにも「素直で正直」を出来る限り楽しむようにしたいものです。

実際に体が軽くなるほど楽しいです。

自分の中の小さな嘘やごまかしという「恐れ」をあらいざらい手放す。

勇気も必要になりますが、まずは「今を感じる」ことからです。