33.テレビを捨てたとき
(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)
シンクロにこだわり出したことで、ネガティブな情報や映像から遠ざかりたくなり、転居をきっかけにテレビを捨てました。
支配者達が所有する洗脳ツールとしてのマスコミだとか、真実を伝えないからとかではありませんでした。
3.11津波の映像を何度か見て泣きました。
テレビをつけると、いやでもその映像が繰り返されていました。
朝から晩まで何日も、映像はもういいんじゃないの、と思いました。
それでも仕事から帰るとテレビのリモコンに手が行きます。
何十年も疑問を持つこともなく、ご飯を食べるのと同じように習慣になっていました。
津波に限らず、ゴシップや不幸のニュースに限って何度も何度も、必要以上に繰り返される残酷な映像。
最後にはテレビの「下劣さ」を感じて嫌な思いが続きました。
そういうこともあって、それ以降、必要な情報はインターネットから得ることにしました。
そうして私の体からは、刷り込まれた「恐れ・ネガティブ」のいくつかが薄れて行き、浄化されたような状態が続きました。
ついでに新聞、情報誌なども見るのをやめてみました。
日が経つに連れ。
普段から、自分が本当にしたいことは一体何なんだろうと思っていた私が、ビフォーアフターみたいに「な~んということでしょう」、したいことが溢れる様にお腹の底から湧いてくるではないですか。
そして、シンクロの起こり方が急速に変化し、したいことを絶対にしなければならないように、すでに段取りが済んだような状態で目の前に現れるのです。
自分で動かなければそうなるはずがないのに。
そして、願いがどんどん叶って行きます。
ところがあれもこれも、叶うことが多すぎて時間がいくらあっても消化しきれません。
出会いたい人、欲しいもの、したいことがあれもこれもと、目の前に現実として現れてきます。
突然ではなく、いろいろな経緯を経てやってくるんです。
まるでシンクロの構造に、気付きなさいと言わんばかりに。
あまりにも偶然が重なり続けるので、途中で気が付いてしまったんです。
「二元性に於いてのネガティブ・恐れ」を抱かない状態になれば、どんどんポジティブな願いが叶い始める、それがシンクロなんだと。
それは、「恐れ」が無ければ可能性を「否定」しないからです。
これが1~2年続き、私はこの魔法に味をしめました。
その途端にリバウンドが起こり、蓋をしていた「恐れ」が一挙に破裂。\ボーン/。
その時のシンクロは私の悪あがきによって、最悪なことになったのですが、来るかもしれないことが分かっていましたので、原因を取り除く対処を落ち着いてすることが出来ました。
このことで、私の中の「分離的思考」の構造をじっくりと観察することが出来ました。
この頃から少しずつ、他人が自分の他人バージョンとして見えるようになってきました。
また、「今」の瞬間を感じることを繰り返しているうちに、全てが同化してくると言う人がいますが、まさにそのようです。
面白いもので、「今」を意識すると、周りの人が発している思考のような感情のような波動が見えるようになってきます。
そして自分の発しているものが相手から反射されていることにも気づくようになってきます。
いい気分でいれば、いい気分が跳ね返ってきます。
ごくまれに相手のネガティブが強い「わがまま」な場合は、こちらまでネガティブになってしまいますから、その時は「わがまま」という自由を尊重してあげて、離れるのが一番です。
それに「怒る」と同じ土俵に乗ってしまいますから、判定は自分も同類ということになります。
「ネガティブ」が自分に降りかかるのは「困る」ことに成りますから払い除けますが、相手の自由を「尊重」して離れるのが得策です。
そしてまた、離れる勇気(愛)とも必要です。
そうすることで、同じ波動の者同士が自然に集まります。
命も含めて、奪う者は奪う者同士、与える者は与える者同士引き寄せ合う。
少なくともこの次元では、そうなっているようです。
引き寄せの法則ですね。