31.真実を知る
(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)
前稿では殺人を犯す人を受け入れる?という究極の問答になりましたが、なぜ殺さなければならないのか、自分探求のために真の原因を知る必要があります。
殺人は自殺や戦争も含めて、お金や地位、人間関係、病気、貧困がほとんどの原因になっているのは周知のところです。
また、これらの90%以上にお金とプライドが絡んでいます。
調べてみれば分かります。
99.9%かもしれません。
お金とプライドという利害が生じると必ず一度はトラブルが起きます。
戦争の場合は、民族や宗教、そして国家の主義による争いのように表現されていますが、99%はお金(権力)が目的になっています。
隠された歴史の中に多くの真実があります。
個人が引き起こす殺人は、戦争という大量殺戮に大いに関係がありそうです。
明治維新然り,日中日露戦争然り、第一次第二次世界大戦、ベトナム戦争、朝鮮戦争、アフガン、イラク、シリア、ウクライナ然り、そのことで「誰が得をするのか」を調べて見れば、毎回同じファミリーの名前が出てくるのが分かります。
「27項自立した個々の共存」でもお伝えしましたので歴史は省きますが、真実が明かされるのは時間の問題になってきた様子です。
そう言えば、「秘密大好き法」「集団的先手必勝権」「憲法云々」に続いて武器開発と輸出とかを決定、首相は早速イスラエルに武器関係商社を連れて「人道支援」とかの演説をしに行ったそうですね。
わざわざ日本をテロのターゲットにするようなものなのに、とうとう本格的にやってくださいました。
そして、ISIS人質殺害、まるでシナリオでもあるようにとんとん拍子な感じ。
日本からはいろいろな名目でアメリカを経由して、イスラエルに公的な発表なしに毎年数兆円が流れていると言う人がいます。
この数ヶ月で日銀から50兆円以上がアメリカに行ったらしい。
この30年では日本の資産の3分の2以上(5千兆円)という信じられない額が海外に移動したと試算する人もいます。
江戸時代後期にも、同じようなことが起こっています。
それで日本製の武器を買うわけですが、誰も知らぬ間にこの辺の企業の主導権は白人系の人達に代わってしまったような感じがします。
そして、日本人に支払われる賃金以外は、全て海外へ吸い取られていく構造が出来上がりつつあるようにも思います。
お隣の韓国は今や同じ手口で韓国人のものでは無くなりましたから、それと同じようなことになりそうです。
韓国も日本もトップ企業の持株会社のそのまた持ち株会社の内容を調べればわかります。
これらの情報がマスコミから流れることは殆どありません。
それは、戦争やネガティブを引き起こす張本人達が新聞テレビ等のスポンサーやオーナーだからです。
どうも、日本と韓国、アメリカ、フランスの報道が特に真実を伝えていないようです。
この一連の、動きによって得をするのが誰なのかをか暴露する人が増えてきました。
以上は2014年までの流れ、2015年はどうなるのでしょうか。
というところで、インターネットを検索すれば、嘘にまみれて確かに多くの真実も伝えられています。
長くなりましたが、これはすべて自分の外側の真実です。
そして、そのパズルが合い始めた時、程度に差はあれ「怒り」か「恐れ」を覚えます。
そうやって、真実を伝えようとする多くの人が、自分の外側だけの真実を叫びます。
企む(たくらむ)者は発覚することを「恐れ」、暴露する者は怒りや憂いという「恐れ」。
素晴らしい情報を発しているのに、同じ土俵に乗ってしまっています。
二元性に於いてこの両者共、「ネガティブ」ということになってしまいます。
その知恵と勇気には頭が下がりますが、もったいないと思います。
企む者はこの構造を熟知していますから、上手に真実を漏らしながら、「批判」「分離」を促し、人々を同じ土俵に乗せようとします。
人々を自分の内側へ向けさせては困りますから、企む者は私達を外側へ外側へと向くようにイベントを起こします。
二元性における「恐れ」を引き起こす根本原因が「分離的思考」によることは、これまでに問答したことですが、この「分離的思考」が強くなると、人の痛みを感じなくなります。
そして特に自分より劣ると判定した他人の尊厳やその痛みを感じなくなります。
自分以下と見なした相手を軽視するのは、その表れです。
真実を叫ぶ者が、耳を貸さない者や無知な者を批判、時として見下す場合があります。
なぜでしょうか。
自らが、企む者のプロパガンダにはまり、「分離」「恐れ」「基準付き欲求」を手放せなくなっています。
他人の自由やその尊厳を軽視することは、自分をそうするのと同じこと、ということが分かりながらでも、流されてしまう。
なぜでしょうか。
嘘の情報によって作られた真実とは反対の常識の中で、どこか麻痺させられているような。
「分離」を生む原因は何なんでしょうか。
私の場合、「見えない」ものが「恐れ」につながっています。
明るいお化け屋敷のように、「真実」が見えれば、「恐れ」ていたものが実は「恐れ」に値しないことが分かる、という表現を聞いたことがありますが、まさにそうですね。
お化け屋敷を、未知の自分や他人に当てはめてみても同じことが言えます。
自分ではない分からない相手として、未知の自分や他人を見ています。
どうも「分離的思考」は「見えない」ことが一番の原因のようです。
自分とは違うものとして「分離」すると、中身が見えないわけですから、「左脳」の役目としては必然的に未知のものに危険性を含むタイムラインを、ついでに連想してしまいます。
そして自ら「恐れ」を刷り込んでいきます。
この「分離的思考」パターンを緩和すれば、ポジティブなシンクロへ繋がるのではないでしょうか。
それには二元性という「内側の真実」を知ることと麻痺の原因になっている「外側の真実」をバランスよく知ることが必要なようです。
ただし「外側の真実」は見たくないものがたくさんあります。
さて、殺人を受け入れるかどうかの話ですが、「勝ったり負けたり」や「殺したり殺されたり」はこのブログ内の論理では同じものとして分類するとしました。
となれば、勝ち負けにこだわる個々が深層部に持つ「分離」という「ネガティブ」がそれを許していることにならないでしょうか。
殺人を企むものと同じ土俵に乗ってしまう「恐れ」「分離」という構造。
それを自由にさせているのは私達の深層部に溜め込んだ「ネガティブ」なのではないでしょうか。
小さなネガティブと殺人とでは大きく違いますが、私達の「依存」「期待」「批判」「基準付き欲求」による集合意識がそうさせているのではないでしょうか。
「外側」の現象に憂うことなく、まずは「内側」の真実を知ることが真の「真実を知る」に繋がるのではないかと感じています。
欲求を果たすために、そして勝つために「巧妙に隠し」「巧妙に騙す」のは、企む者達だけではなく、「恐れ」のパターンを手放せない私達にも責任があるのではないでしょうか。
許すも許さないもなく、「真」の自分を発見し、その全てを受け入れることでしか、先へは進まないと感じています。
殺人という行為を、許すということではありませんよ。
自分を受け入れる意味を、子供にすら教えられない私達が引き起こす、無意識のシンクロ、それがこの世界であるように感じてなりません。