2015年1月16日

29.ネガティブを受け入れる

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)


批判的な思考を自分に向けても他人に向けても、同じようなシンクロが起こることがあり、前項の考えは当たっているとも言えそうです。

例えば、ある件で「今」誰かにドヨ~ンとした批判的な感情を向けたとします。

そのドヨ~ンを途中で打ち消したりしない場合、必ずと言っていいほどその誰か、または他の誰かが、廻り回って代理で同じ程度のドヨ~ンが起こる環境を返してくれています。

まるで私が望むドヨ~ンを、周りの全てが演出してくれているかのようにです。

また、人だけではなく、環境や状況そのものがドヨ~ンを作り出す時もあります。

「20.希望はポジティブ愛」で説明しましたように、「今」という時に、ムカーッの「感情」で「思考」すれば結果はムカーッ、ルンルンの場合はルンルンです。

シンクロ二シティーを踏まえ「自分の現実を自分が創っている」として、もう少し深く掘り下げていけば、「他人は全て自分の中にある」という捉え方も、過ぎた解釈ではないと感じるようになってきました。

それは、自分の嫌な部分や好きな部分を、思考によってその全てを相手の中に投影しているからです。

もし嫌な相手であると判断した時、自分がそれと同じ人になってしまった場合、自分を批難し許す事が出来なくなるという「恐れ」が無意識の演算によって、深層部に生じている可能性があります。

この、「自分がその人と同じになった場合」という想定が、意識、無意識に関わらず、「自分の中に、その他人を自分の像として投影」していることに相当すると考えられます。

このことから、他人は物理的に存在していますが、見え方や捉え方そのものは、自分の単なる一面でしかない「左脳」の「分離的思考」が作り出す幻想とも言うことが出来ます。

他人は他人ではなく、幻想によって自分を他人に置き換えているだけで、実は全てが自分そのものであるということも考えられます。

飛躍し過ぎと言われそうですが、全てが「波動」であるとすればあり得る話です。

いずれにせよ、自分と他人を「分離」する「思考」が消えないと、他人がいる限り自分の中のネガティブな要素も消えないことになります。

でもこれが当たり前になっている私が、ただ「思考パターン」を変えただけで簡単に変わるとは 思えませんでした。

どうして良いのか分からなくなりそうですが、ヒントは「自分を愛すること」のようです。

自分を甘やかすではなく、その批判的対象に、もしも自分がなってしまったとしても、それを受け入れることが出来るかどうかにかかってきます。

極端な例では、そのことで自分の命を絶つ人もいるぐらいですから、「批判しない」や「自分を愛する」は最重要課題になりそうです。

「勝ち組」からの転落に耐えられず自殺してしまうの人の構造を考えると、人に勝ちたいと思うことが、如何にネガティブであるかがわかります。

勝ち組という「分離的」思考からくる自己満足ではなく、勝てないことを「批判・否定」せずに、自分の「尊厳」をしっかりと見出してあげることが大切なようです。

これらのことから「分離的」「批判的」思考が止まらないうちは、自分を真に愛しているとは言えないバロメーターになりそうです。

素晴らしく分かりやすい指標ですね。

「自分を愛することが出来なければ、人を愛することは出来ない」の意味がここまでの考察で、少し分かったような感じがします。

ここでの「愛」の意味は、「11.ネガティブとポジティブ」の項で定義した、二元性に於ける「愛」のことです。

そこでですが、私は「批判」という思考癖を克服できるのでしょうか。

他人への「批判」は自分への「批判」そのものであることを今、自分と問答中です。

とにかく「批判しない」をやってみてはどうでしょうか。(自分に言っています)

まったく「批判」しないでいるというのも、仕事などでは弊害がありそうな気がしますが、そう思うこと自体が「分離」「ネガティブ」と判断せざるを得ないとなると、やっかいですね。

でも批判しなくなったら、明らかに、ポジティブなシンクロが多くなるのは確かです。

私の場合はリバウンドの問題が残ります。

ルイーズ・ヘイ 「自分を愛する方法」  彼女はNYで活躍したモデルでもありますが、経歴をみると大変な苦労人です。今は90歳くらいになられていると思います。https://www.youtube.com/watch?v=kH5MGznphv0


2018年追記、ここでも動画が削除されてしまいました。



アファメーションという言葉が出てきましたが、自分に「断言」するや、「宣言」するとかいう意味だそうです。

「こうなればいい」とか「なって欲しい」ではなく、「なった」感覚を伴いながら宣言するということになります。

アファメーションだけでは自己暗示にかけるようなものですから、少し短絡的になり、リバウンドの可能性が大きく残ります。

深層部のネガティブ「恐れ」をそのままにしてのアファメーションではなく、彼女が言うように「批判」するのを金輪際やめるように、いつも自分を客観視する努力が伴います。

「期待」「依存」「批判」「分離」「基準付き欲求」を常に客観視しながらのアファメーションは効果的だと思います。

自分や周りの人に対して、もし批判的思考や言動が出たらブーで、ブーが10個貯まったら今日のスイーツを我慢するとか  「批判いっさいダメゴッコ」  なんていうのも面白いかも、です。

ダメゴッコのダメも批判になりますか? )^o^(