2015年1月10日


27.自立した個々の共存

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)


明治維新まで、町以外ではお金はほとんど流通しておらず、農業、漁業や工業他の下請けなどを行う大多数の人達は、物々交換で生活が成り立っていました。

これは明治政府が英国に習って税制度を施行する時の記録で分かります。

この頃の物々交換は、クールな等価交換があったとしても、あげる人貰う人それぞれの価値観の違いから、取り過ぎ、少な過ぎなどの不公平感を抱いていたら、何千年もこの文化は続かなかったでしょう。

一人で取り込む必要はなく、貰い過ぎたら誰かに分ける、無い時はみんなで工夫する、自然も含めて物はみんなのもの、そしてこの大自然に感謝しながら生きるという文化がしっかりとあったことは、世界中のネイティブ達やその歴史が証明しています。

また、今の時代のように「ネガティブ」を積み重ねる文化ではなく、一人ひとりが「自立」し、個々の集まりとして「共存」し、「ポジティブ」で精神性の高い文化が創られていたことも、歴史から十分に伺い知ることが出来ます。

それが大きく壊れ始めたのは、ローマが宗教による統一的支配を考え始めた紀元一~四世紀からで、金融制度が確立する300~400年ほど前から加速し始め、特に1980年代には世界の資産の半分をたった2%の人が持つに至ってしまいました。

リーマンショック後の2011年には、その2%が事実上、とうとう0.0000001%以下の84人になったことをどこかの調査機関が発表していました。(この人達の氏名も発表されています)

経済恐慌や戦争が起こる度に資本は集中していったのですが、シンクロニシティとネガティブの構造を知るひと握りの人達(ヨーロッパの王族)が、何百年も前からシナリオ通り、庶民がポジティブなシンクロを起こさないよう「意図的」に抑圧していたことを、庶民は知る由もなく時は流れました。

財力に物を言わせ「組織」というピラミッドを作り、ネガティブを蔓延させることが彼らの手段ですが、調子に乗りすぎたのか最近ではバレ々の見え々になってきました。( ̄□ ̄;)!!

このことは、たとえ隠しても数字と歴史が明らかに物語っています。

「共存」という文化を壊し「ネガティブ」をすり込む為の組織とその情報操作には想像を絶するものがあります。

日本は長いあいだ鎖国していましたから、被害は遅れてやってきましたが、大東亜戦争後にはメディアの発達によって、世界のネガティブ構造にしっかりと追いつきました。

そのプロパガンダが放つ時代劇では、登場するお百姓の殆どが貧乏、無知、小心、卑屈のイメージで描かれますが、明治維新前後に撮られた数々の写真の表情を見れば、平穏で豊かで無邪気な人達であったことが伺えます。

それから150年間、経済が発展し何度も戦争をしただけで、何が良くなったのでしょうか。

国も個人も、助け合いよりも、争い合いばかりに目が行きます。

しかし昔に比べたら便利になりました。 ???

私は「便利さ」と「豊かさ」を混同していたように思います。

携帯電話で、家と会社に鎖でツナガレ、情報処理技術は益々進化して、頭はついて行けても心と体は益々ついて行けず、時間もどんどん速くなり食は薬物入り加工食品、話す時間も惜しんで液晶からの連絡を歩きながらチェック。

自分だけならほんとに便利です。

でもこれ、みんなでやってますから、キリがありませんね。

勿論良い面もありますが、私は便利になって益々忙しくなりました。

60年前と比べて、生産性が8倍に向上したそうですが、今ではお母さんまでもが働かないと、まともな生活が出来なくなりました。

どこか変ですね。

支配の構造や世間の現実に、捉え方は様々でしょうが、これが人類の進歩であれば、私は遠慮したい思いです。

視点を変えて。

現在のお百姓さんは一人平均、200人分以上の作物を生産します。
(主食から野菜、果物まで)

大工さんは一人平均、200人の家を造っていることになります。
(4人で100年住める家)

食品添加物や遺伝子組み換え品、必要以上の薬を控えたら、お医者さんは1000人に一人で充分だそうです。(看護師さんは人口200人に一人で充分)

縫製のプロは、衣服を一人で200人分まかなえます。

100人が消費する物品からエネルギー、娯楽の供給までを16人でまかなえます。
(材料や家電製品、勿論車も含みます)

衣食住医及び豊富な物品が、全ての人に行き渡ります。

100人中20人が働けば、残りの80人は何もしなくても豊かな生活が保証されます。

この80人も、誰かが喜ぶために、何がしかせずにはいられないと思います。

個々の相違点を理解し、さまざまな利害を譲り合い、物やお金を必要以上に取り込まなければ、充分豊かで安心な生活が送れることは、数字が証明しています。

少しブログの趣旨から外れましたが、生産性が高くなった現在では、縄文時代に戻らなくても、複数が共通のシンクロを起こすと、このような世界も十分にありえるという話です。

歓喜するほど楽しい世界でしょうね。

もし、この複数の人達が起こす不思議に「期待」と「依存」ではなく「希望」と「共感」を抱く人が増えれば、ポジティブなシンクロ二シティ現象は想像を絶する加速をするかもしれません。

しかしこれは、シンクロの構造を知れば知るほど、自分が「意図」することでしかまらないことが分かります。

シンクロは気功の「気」と同じように「意図」が「波紋」のように広がり、一人ではなく、周り中に「波動」が伝播して起こるようです。

自分だけが幸せのシンクロを起こすより、家族や仲間といっしょに楽しい方が何十倍も幸せなはずです。

とすれば、行き着く所はそのイメージでシンクロするのが、最高の「ポジティブ」であるように思います。

まずは、自分からです。

「依存」しない、「期待」しない、「分離」しない、「批判」しない、「基準付き欲求」を手放す。

そして、歓喜するほどの「希望」と「共存」の世界をイメージして 「今」を感じる。 \(^o^)/