2014年12月25日


26.依存と自立

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)


「依存型社会」、耳にすることがあると思います。

いろいろな見方がありますが、この項では、何らかの形で「組織」というものに頼らざるを得ない社会を指して、言うことにします。

国、地域、会社、家族等に、精神面も含め、いやでも「頼る/依存」しなければ、不便な生活を強いられることになります。

この「依存型社会」の構造は、国や、会社、同じく家族も男を家長とするピラミッド型の「組織」、タテ社会が形成されています。

私達は、その社会で生きることを前提に、小さい時からその術(すべ)を学んできました。

19「期待はネガティブ」の項で、良し悪しには関係なく「依存」は「ネガティブ」な思考であるこを定義しました。

「組織」の中で生きようとすると、「依存」によって、自分の根底に「ネガティブ」「期待」「執着」等、数々の小さな「恐れ」を、必然的に積み重ねてしまうものがあります。

その中にどっぷりであればある程、そのことに気付くのは難しいものです。

そしてピラミッド構造の中では、少しでも上の位置に付けたいと思うことがあります。

誰かに負けていては、自分が報われない事になりますから、「勝ち負け」が大きな評価基準になります。

成績が良くないとダメ、体力がないとダメ、容姿が悪いとダメを子供の時から、そう刷り込まれます。

「組織」の中では、「左脳」に溜め込んだ「困る」「心配」という「ネガティブ」から来る思考は、「誰かより良く見られたい」「勝ちたい」という他人を基準とする「欲求」を生み出します。

これを、自我、エゴと表現したくなりそうですが、この言葉は曖昧性が強いので、このブログ内ではなるべく使わないようにしています。

これに対して、基準がなくても湧いてくる単純な意味での、食べたい、寝たい、海を見たい、土に触れたい、知りたい、してあげたい、そばに居たい、SOXしたいなどは「勝ち負け」や「誰かより〇〇」の要素を含まない、直接的で「今」という時の中で完結出来る「ネガティブ」ではない「欲求」と言えそうです。

基準付きの「欲求」は、「過去」と「未来」しか見えない「左脳」の特徴だということが伺えますが、その「ネガティブ」な「欲求」を「今」という時の中に引き込むことが出来れば、おもしろそうです。

21「恐れを少しずつ手放す」の項で観察したように、楽しい幸せなシンクロを起こしたい場合、深層部に根付く「依存」という「ネガティブ」が障害のひとつになりますから、単純な解決策は「組織」から離れて「依存」しない環境に身を置くことが最良ということになります。

でも、そう簡単にはいかないですね。(;_;)

ではここで、「依存」していない状態を考えてみます。

何にも依存しない完全な自立を考えたら、社会という組織から離れ、辺境の地で自給自足ということになりそうです。

自分を社会から隔離することで、「依存」という形はなくなりますが、これは引きこもりと同じ「逃避」的要素を含んでいる場合があるので、「ネガティブ」を解決することにはならないようです。

また、他と自分を必要以上に「分離」し、「排他」「孤立」が「欲求」であるとすれば、基準付きの「欲求」が自分の中から消えることは考えられません。

「依存」の反対は「自立」ですが、「自立」が必ずしも正解とは言えなさそうです。

「独立」もよく似ています。

では、組織ではない、「依存」しない個々の集団はどうでしょうか。

もしもの話ですが、「ネガティブ左脳」との折り合いが付いている人達が、同じような目的とか目標があって集団になったとしたら、どういう事が起こるのでしょうか。

誰かに「勝とう」とするでしょうか。

誰かより「評価されたい」と思うでしょうか。

誰かに「期待」するのでしょうか。

誰かを「批判」するでしょうか。

誰かを「分離」しようとするでしょうか。

誰かが「独り占め」しようとするでしょうか。

誰かがこの集団を「組織化」しようとするでしょうか。

もしもこの集団の「意図」がシンクロしたら、どんなことに。(((o(*゚▽゚*)o)))