2014年12月20日


25.左脳との折り合い

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)


量子力学が面白い事になって来たことで、願望の具現化を「信じたい」人が増えているのは確かです。私もその一人です。

冒頭の動画は、可能性に「期待」させて、私の話を正当化する為ではなく、中立な立場でのご紹介です。

私がここで取り上げている内容が、もしも、「真理」であったとします。

そのうえで、全てを「左脳」で理解したとします。

だとしても、自分の「深層部」「思考」「感情野」「客観視の自分」が一体化の中で「意図」することにならなければ、自分を取り巻くシンクロは、何も変わらないというのが現実です。

私が自分自信に説明したい「核」の部分です。

例え、私達一人ひとりが神であることを、科学が証明したとても、そのことに変わりはありません。

でも、私達には「希望」があります。

それは、対象が何であれ、一時的に「思考」をとめれば、「可」でもない「否」でもない、中庸/中立の位置に立つことが誰にでも出来得るからです。

深層部の「思考」と「感情」がどちらにも揺れていない情態の事です。

自分が「意図」する現実を、先入観「過去」のないところからスタートし、シンクロを起こします。

まず、「左脳」が「過去」と「未来」を行き来していないかを客観視することで確認できます。

そして、「今」を「感じる」中から「思考」を再スタートさせます。

次に、何かを意図した時、シンクロニシティーの構造を信じている、信じていないという感覚は「今」という時の中で派生しているものであり、「期待」や「批判的否定」などの「ネガティブ」を含まないので、「心」「感情野」は本当に好ましい情態にあり、信じている通り、または信じていない通りの具現化が起こります。

この場合、「信じている」も、「信じていない」も、後述することになりますが、ただ「知っている」のでそうなっているという感覚ですから、これまでの観察では、受動的で正直な「感情野」は、この時どちらにも傾いていないはず、と結論できます。

これは「ネガティブ」と「ポジティブ」の中間的位置と想定できます。

ただし、シンクロの構造を知らない場合には、意図的な具現化とは言えません。

当然、中立のつもりでも通用はしません。

また「中庸中立」は、「今」この瞬間の「感情野」の平穏を「感じる」ことでも再確認できます。

真の「中庸/中立」は、この情態にあるかどうかが、指標になります。

顕在意識でしっかりと「意図」を具現化させる、大切な目安です。

これは、「中庸中立を感じる」を経験すれば、あとは「思考」によって引き出せる結論です。

そして、自分の「感情」にも常に気付いている必要があります。

そうやって自分の現実の中に、ポジティブなシンクロを少しずつ増やしながら、そのパターンを「知っている」状態に近づけてゆきます。

ところが、この大切な部分を客観視出来ないと、深層部に蓄積したデーターと「感情野」が無意識のうちに反応し、いつのまにか元の自分に戻ってしまいます。

「今」を認識できない「左脳」が騒ぎ出し、「過去」と「未来」にフォーカスし始めます。

「信じている」は「信じたい」に、「信じていない」は「信じたくない」「信じられるはずが無い」に変化してきます。

そして、白黒を付けるのが大好きな「左脳」が、そのどちらかを正当化する為に「演算」を始めます。

信じたいは「期待」、信じたくないは「批判的否定」に繋がり、どちらも「ネガティブ」を呼びます。

そして、無意識の内に「希望」から「期待」への後退が始まります。

信じる、信じないの対象にかかわらず、「左脳」は誤りの「信念」を正当化するだけのために、プロパガンダが放つ情報社会のなかで経験/勉強し、あらゆる情報を模索します。

こうして、例えば、密かに売り手が存在することを知らずに、苦労を買ってでもする「べき」という「信念」を作り上げて行くことになります。

やがては、真実を見抜く能力も時間も無くなり、苦労の売り手にとっては益々都合の良いことになって行きます。

売り手はこの構造をよく知っています。

あなたは、どちらを選びますか。

どちらも好ましくないですね。

そして、その「信念」に準じた情報だけが、腑に落ちたと勘違いをしてしまいます。

自分の中には、益々「勘違いのポジティブ」や「無意識のネガティブ」がループ構造のまま拡大してゆきます。

そうして、強い「信念」の元に、私達の集合意識はおかしな社会を構築してしまいました。

批判しているのではありません、これが私であり、社会の現実です。

いえ、「現実でした」と過去形にしておきましょう。

時間が経つほど、変化を嫌うようになり、「信念」は固まってしまうようです。

自分を振り返って、痛感します。

それでも私は左脳を。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。愛しているのですが。

何れの結論を出すにしても、「左脳」は、このどちらもが「期待」と「批判的否定」という「ネガティブ」な結論であることに気付いていません。

もしここで、「感じる」という事を忘れずに、常にそれを客観視(中庸/中立)することが出来るようになれば、「左脳」自身と、客観視するもう一人の自分との対話によって、「左脳」の「演算」がもう一人の自分と同じ結論に至るようになります。

「左脳」は自分を守る役目から「誰かより〇〇」のような「ネガティブ」な「欲求」を出して来ますが、もし自分が「安全」で「平穏」な状態をシンクロによって創る方法を知れば、勿論拒否することはないはずです。

自分を知り、受け入れるとは、こういうことかもしれません。

「期待/希望」、「ネガティブ/ポジティブ」、「恐れ/愛」、「考える/感じる」は、「左脳」との対話において、大切な言葉です。

このたった数対の言葉を整理するだけでも、得るものはたくさんあります。

あれやこれやを言葉にすると大げさに聞こえますが、ここまでの問答だけでも、以前より、自分や他人を受け入れ、許することが出来るようになったと感じています。

少しずつ、「左脳」との折り合いが付き始めているようです。

そうして、いつかみんなで最高のシンクロを起こすのでしょうね。

☆ヽ(最^_^ 高)ノ★こんな顔で。