2018年1月23日

81.私は戦うインディアンになった


あらゆる分野で、成功者、勝ち組み、出世頭が価値ある人のように評価されます。

私は、この言葉の概念を、親や教師、テレビや世間から学びました。

そして、少しでもそうなれるように願いながら、小学校に通いました。

それに、学校にはみんなが行くので、そう「しなければならない」ものだと思っていました。

そこに疑問を持つことはありません。

大人達からは、その世界観や概念しか教えられていないのですから。

小学校の低学年を過ぎてくると、学校での評価が自分の将来に大きく影響することが分かり始めます。

中学生にもなると、学校や大人が決めた価値観やルールに疑問が湧いてきたりします。

そして遅かれ早かれ、世の中も学校のあり方も、そのシステムが平等ではないことを知ります。



やがて、その不自由さが、ストレスとなり反抗期が訪れます。

また、いろいろな面で評価が低いと、生きることすら難しいことが分かってきますから、いつのまにか「怖れ」を基盤にした概念や考えを持つようになってしまいます。

「怖れ」が生み出すものは「怒り」や「憎しみ」など、自分や周りを不幸にするものばかりです。

愛する子供達をそんな人間には育てたくないですね。

良かれと思う親心が、知らぬ間に自分の子供を追い込む行為になっていませんか。

そんな環境で、育つ子供はまだ数多くいます。

もし、そこで落ちこぼれたり、いじめられたりしたら、その子にとっては、死ぬか生きるかの大きな障害になる事もあります。

大人でも同じですね。

大げさですか?



私を一つの例に取って考えてみます。(ちょっと異端ですが)


昭和の中頃が私の子供時代です。

そのころのテレビは、西部劇の全盛期。

テレビに見入る私は、いつも白人目線、インディアンはいつも悪役。

弓矢や斧で頑張ってるインディアンを、ライフルや大砲でやっつけるのですが、それを正義だと思っていました。

今思えば、恥ずかしい限りですが、子供だからそんなことは分かっていません。

殺されるインディアンをみて、スカーッとするんです。

テレビを見るだけで、子供の私は簡単に壊れてしまいました。単純です。

ちなみに、インディアンはアメリカ発見時の手記にもありますが、戦いや復讐を知らない素晴らしい文化を持っていたそうです。

アイヌの文化と同じで、武器(人を殺す道具)を持つ文化ではなかったようです。

縄文時代と同じく、何千年も続いた自由と平和が、白人によって奪われようとしたわけです。

この時、少数のインディアンが抵抗するために立ち上がりましたが、弓矢に対してライフルですから想像するだけでも悲しくなってしまいます。



そして子供の私でも十代の中頃になると、インディアンを皆殺しにする大人や社会の愚かさを見抜き始めます。

それは、私がしっかりと落ちこぼれていたからです。

落ちこぼれの角度から見える社会が、私の現実でした。

学校が強制収容所のように見えていました。

そこでは、価値のない落ちこぼれの尊厳は完全に無視されます。

進学高校でしたから、落ちこぼれは最終的には皆殺し。

強制収容所として、落ちこぼれの排除は運営上仕方ないのですが、先生達が残虐な白人に見えました。

どうしても勉強に意義を見いだせない私は、期を待たず脱走を企てました。

当然のように世間の目は、落ちこぼれの不良少年にしか見えていません。

私もほかの落ちこぼれも、それは認識していました。

17才でした。



そして、社会は簡単には受け入れてくれません。

労働条件や賃金にこだわらなければ、少しのアルバイトならありました。

そして私は仕事を見つけ、「自立できる!」「自由を手に入れた!」と、思いました。

が、しかし子供の浅知恵。

やがて、その「自由」は「幻想」だということに気付 きます。

脱走して社会に出れば自由が待っているはずなのに、しかしそこも同じ強制収容所だったんです。

今なら笑えますが、その時は落ち込みました。(´∀`)

子供心に、心の底から苦しみました。



で、術(すべ)を失った私は、「刹那的」な楽しみの方向に走り出してしまうのです。

「今という瞬間」を大切に楽しむのではなく、壊れて行く未来から逃避し、希望のない今瞬間に浸ってしまうのです。

連続する「今」がネガティブな世界を具現化し始めます。

そして私は大好きなオートバイにまたがって戦うインディアンになることにしたのでした。

「白人たちに仕返しだ~~」

まず、学校を襲撃しました。(でも、根はいい子なので大したことは出来ないのです)笑

そうです、インディアンではなく暴走族です。

1970年頃に始まった子供たちの反乱でした。

やけくそになった子供たちが行動を起こしたのです。

このころ、大学のお兄ちゃん達は学校で火炎瓶を投げたりしていました。

夜中の爆音や目に余る危険行為、社会はそれを抑えにかかります。

敵である警察官たちは仕事なので、行動に出ます。

まるでインディアンと奇兵隊です。

長さ1.5m程の警棒が使用されました。

暴走する子供の顔面めがけて狙い撃ちをしてきます。

当然、ヘルメットはかぶりませんから、まともにくらえば死ねます。

例えそうなっても、自業自得、子供の尊厳は無視。

クズだから仕方ない、というのが世間の見方でした。

自ら、大人と同じ土俵に乗ってしまった私たちは、願いが叶い、思う通りの厳しい現実が具現化されて行きました。

決して豊かとは言えない家族、子供と愛を交える時間も持てない親、家庭での勉強などできる環境はどこにもなく、落ちこぼれにならざるを得ない子供たちに大きな責任を課せてくる社会。

そして、街のあちこちには「暴走族排除!」というポスターが貼られていました。

愛の欠片もない「排除」の言葉に、火が付いた子供達も多くいたと思います。

暴走族を正当化するわけじゃないですよ。

その行為は憎くても、相手は子供なのです。

子供の尊厳を守ってあげられない親や社会。

どこかおかしいと疑問を持ちませんか。

世の中がおかしくても、それが現実だから仕方ないですか。

子供のために社会を変えるか、子どもを変えるか、どちらか一つを選ばななければならないとしたら。

あなたはどちらを選びますか。

楽なほうを選んでいませんか。

そのために子供が犠牲になっていませんか。

子供達が遊びたい時には、思う存分遊ばせてあげて下さい。

勉強が嫌いなら、こどもが興味を引くものを一緒に探してあげて下さい。



私は今でも、あの子達が愛おしい、、、、、、、



追記

その後の私はバイクを捨てきれず、自分の世界を社会からモータースポーツ界に絞ることで、くすぶっていたエネルギーが燃え尽きます。

そして大きな気付きを得ることになります。

「勝ち負けの結果に意味を持たせる必要がない」 ことをです。

「人と比べてなんぼ」ではないことを知るのでした。

それからも紆余曲折があるのですが、「落ちこぼれ」人生、結構いいもんですよ。


今、世界のスポーツ界は、「勝ち負け」よりも、「お互いに能力を出し切る」喜びに価値を見出す若者が増えています。

国際試合でも、勝敗を超えて感動のシーンが数多く見られます。

うれしいですね。

世界が変わり始めたことを感じます。

みなさんの現実はどうですか、、、、、

https://youtu.be/rZT2KHHbae4


彼女は10km~38km地点まで彼に並走したそうです。女性部門2位でした。






0 件のコメント: