2016年11月7日

65.嫌われる勇気



自由を得るために、「嫌われる勇気」を説いた書籍が大ヒットしました。

認められたい、嫌われたくないという欲求(承認欲求)を克服し、「今ここに在る」をキープしながら自分のワクワクに没頭することが他者貢献にも繋がる時、自他共に真の自由と幸せを得るのだという素晴らしい内容です。

タイトルだけでは判断しきれない、理想の解説書だと思います。

いつものことですが、それに乗じて、成功者になるために、願いを叶えるためにと、キャッチフレーズだけが独り歩きしはじめ、二次発信者の目的によってはオリジナルの意図を損なうものが見受けられます。

人それぞれに解釈や表現が違うのは自由でいいのですが、オリジナルが前提としている要点からあまり外れると、弊害がでる怖れがあります。

「嫌われる勇気」と同じく「断捨離」や「引き寄せの法則」にも、悲しいかな、その手のものほどなぜか宣伝が派手なので、いやでも目に付いてしまいます。

結論を急がずに、オリジナルをしっかりと読み解いていきたいですね。

ネットなどで発信されているものの中で、自由や夢を実現させる方法論は段階的にいろいろあっていいのだと思いますが、最終到達点である自分を取りまく社会や人が、いつもと変わらないまま自分だけは幸せになっているというのが前提では疑問を持ってしまいます。

その現実が前提では、受け入れる勇気ではなく、根性だけが必要になりますね。^.^;

自分にも他人にも根性を強いると、54.勇気に根性はいらないⅡのように恐れは増幅します。

そしてこの論理では嫌われたままですから、自分が変わっても環境としてのタイムラインは何ら変わっていないということになります。

これは無限の多元世界/パラレルの中で、わざわざ今と変わらない現実を自らが選択し、自分だけが自由になるという難しい方式をとることになります。

三次元的思考から逃れられない論理展開だとこうならざるを得ず、自由を選ぶ人と現状維持を選ぶ人との間で対立が生じてしまいます。

しっかりとした知識や体験を持っていても、三次元脳/左脳だけの思考に頼ると、他人の思いが見えないことから、どうしても分離的な構造を基盤にした演算を始めてしまいます。

分離的思考は必ず恐れを生じ、対立的な構造を創ることは、論理的な展開で得られる答えです。

にもかかわらず、「左脳」は三次元的保身を優先しますから、理想と現実の間に多くの矛盾を生じてしまいます。

そのジレンマの中で私たちは生きているようなものです。

これは、三次元だからそうなるのではなく、私たちが好んでフォーカスするものが、この三次元から抜けきれない原動力になっていることに疑問を持つ必要があります。

怖いもの見たさと、誰かより〇〇の承認欲求には、思い当たる節があるかと思います。

私たちはいつの時代にか、多元世界に生きているという認識が無くなってしまったようです。

これは意図的な企みによるのも確かですが、真実は一つではないという点で、ここでは触れないことにします。

そんな中で、自分が選ぶ現実ですから、悪いとは言いませんが、その対立感が結果的に自分の自由を束縛してしまうことになるのは目に見えてきそうです。

この対立の構造に焦点を当てて改善を図ろうとしても、現実を創っている自分の思考から対立感が消えない限り、簡単に打開策は見つからないと思います。

常識では、社会やグループから仲間はずれにされると、生きることが難しくなってしまいますから、自分の外側の現実が大きく影響しているように見えます。

果たしてほんとにほんとにそうなのでしょうか。

人目や過去の実績と未来に、絶えずフォーカスせざるを得ないのは、潜在的にこの世界を体験したいと思っているから、ここにいるのではないでしょうか。

顕在意識としては異議あり!ですね。

もし、量子力学が言う多元性や多次元性があるとすれば、いい意味で他人に干渉する人は誰一人なく、自由で豊かな社会がパラレルワールドの中に存在するかもしれません。

前稿の続きになりますが、このホログラム的世界は「意識が先、具現化があと」であるとすれば、簡単に理想の世界に移行してしまえる可能性があります。

宇宙も自分も無限の多元性を持ち、今という瞬間だけにしか存在していないことを、すでに量子力学は証明の域に入っています。

そして、「左脳」または「前頭葉」の顕在意識的思考というのは、今を感知することが出来ず、ひたすら過去と未来だけを演算する行為であることが脳科学の分野では常識になりつつあります。

量子世界での新しい解釈では、無時間無空間の中で波動/エネルギーである意識が、波動である現実を無限に生み出していることになっているようです。

これをホログラム以外のどんな言葉で表現すればいいんでしょうか。

なのに、未だこの理不尽な世界から逃れられないと思っているとすれば、自分の中のどこかが、今の世界を引き寄せているのかもしれませんね。

それは、恐れを基盤とした「重い波動」以外にはないと判断します。

今という瞬間を無視して、過去や未来だけを演算することが、変わらない世界を想定し、今ここにはない未来のために大切なものを犠牲にし、我慢して走り回ることにはなっていないでしょうか。

今という瞬間の意識や感覚を見失うと、現実どころか自分の感情や感覚のコントロールすらも不能なものになってしまいます。

この状態はエネルギー的には「収縮」に向かうとされ、質量が大きくなり、動きが遅くなっていきます。

そして、ネガティブなスパイラルに落ちることになります。

であれば、目指すはただ一つ、「拡張」です。

「嫌われる勇気」の書は、この「拡張」を促す啓発の書です。

思考を止め、自分を絶えず「今という瞬間」に存在させ、とにかく感じてみること。

たったこれだけで自己エネルギーは拡張し、多次元性を持つ状態になるようです。

私は、その状態を長く続ける能力がないので、この状態から自分を俯瞰する態勢に入ります。

そして数十分から数時間持続しています。

仕事中や会話中もです。

いつの間にか「左脳」オンリーになってしまいますが、すぐに気付いて「今の瞬間」を取り戻します。

ただこれを繰り返すだけでも、ネガティブな思考や欲求は小さくなって行きます。

エネルギーの拡張がそうさせるようです。

この拡張と収縮を意図的に繰り返しながら、自由に好きなパラレルを移動するのが本来の私たちのようです。

意図的にです。

そのためには、絶えず自分の思考に反応する感情を俯瞰し、観察するという最低限の努力は必要です。

そして今を感じ、思考と感情の観察を続けることによって、身の回りに絶えず起こっているシンクロやタイムラインの変化がよく見えるようになってきます。

慣れてくると、きっと楽しくなると思いますよ。

その体験は、身の回りで起こるあらゆる出来ごとの根拠や因果を明らかにしてくれます。

そのことが、自分という存在の理由に繋がることを実感するはずです。



なんか毎回同じことを書いているような気がしてきました。(*´∀`)