2016年8月11日

60.パラレルワールドは存在する

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)

宇宙 ~時空超越の旅~44 多元的宇宙のなぞ
https://www.youtube.com/watch?v=ttaFcLQIrVQ


もし、パラレルワールド(並行世界)が存在しないとしたら、私達の歴史や個人が経験してきた不思議な現象は、ひとつしかないこの三次元世界だけで起こっているということになります。

そのこと自体が「無限」ではなく「有限」の世界を創ってしまうことになります。

今の物理学も、そこら辺のところで行きづまっているそうですが、これだと、大いなるいちなる者としては規模が小さいですね。

そうなると、宇宙を司るいちなるエネルギーが持つ法則は、たとえ「多次元性」があるとしても「多元性」はないという可能性が出てきます。

量子力学ではこの世界の無限性や永遠性の証が益々現実味を帯びる中、有限であると考えるのは、浅はかであり、それでは多次元の存在も危ういものになってしまいます。

ある意味、多次元域も並行世界なので、「多次元」を認める人であれば「多元性」としてのパラレルワールドは受け入れやすいかもしれません。

多次元域は、波動の違いによる区分けとして捉えられており、大きい振幅の領域から、小さい振幅の領域が見えないだけでなく、重なるようにして各次元の世界が存在するといわれています。

そして、この「多次元性」は死後の世界や重力の矛盾、数学その他さまざまな角度から実証されつつあります。

一方、「多元性」では同じ波動域、同じ次元の中にも少しずつ違う現実世界が、並行して他にもあるとされるパラレルな世界であり、そこには別の私が存在している事になっており、自分が何人もいるって、ちょっと受け入れがたい世界が広がります。

私のイメージとしては、パラレル世界というのはまだまだSFチックな感覚から抜け出せないのが現状でした。

量子力学ではすでに1950年代に並行世界の仮説が出されているのですが、私の知る限り「多次元性」の証明ほどには進展していないような感じです。

シンクロの観察の中で気付く事ですが、本来、時間も空間もないとされる世界で、私達は過去から未来へと一軸上に移動しながら体験を積んでいることになりますが、少し違った波動状態になるだけで、自分の現実がどんどん変わっていきます。

そして時に、時系列で物事が動いていないような現象に遭遇することがあります。

それが何を示しているかというと、過去から未来へと同じ空間に居るようでありながら、思い込みではなく、自分の心の在りように等しく変化した全く別の過去や未来の世界が初めからというか、同時に存在している可能性を現しています。

私そして私達は、この地上に別バージョンの数十億の自分に分かれた訳ですが、このそれぞれの自分に私が介入してみんなを変えてしまっては、私以外の人の可能性を歪めてしまう事になります。

それでは、全体としての自分の意識の可能性を自分が制限する事になってしまいます。

それよりも、一人ひとりが違う世界を瞬時に創り出す構造のほうが、自由な創造の可能性を広げるという意味では理に叶っています。

一部の者が全体の自由を制限してしまうというのも創造のひとつかもしれませんが、結果を考えると楽しくはないですね。

それより、ダイナミックに自由で開放的な世界が断然いいに決まっています。

私の想像を大きく超える大いなるいちなる存在にはそうあって欲しいものです。

胆略的ですか?


パラレルがあったとして、その同じような世界といえども、多次元世界と同様、少し波長や波形が違えばそこには存在できず、自分が「今」発する波動が創る現実にのみ存在することができる。

これって絶えず願いが叶っているということです。

そして他のパラレルは見えない状態ではあるけれど、一人ひとりの可能性としての現実は瞬時に無限大の速さと数が創り出されている。

という想像を絶することであっても、制限のない大いなるいちなる者として障害は何もないはずです。

私から見た大いなるいちなる者は何でもありの存在ですから、私がいちなる者であればそうするでしょう。

と、思ったことは全て「今」という瞬間の中に創造され、リアルでパラレルな世界が無限大に広がる。

なんでも「有限」にしてしまう左脳には、ついて行けそうな世界ではないみたいです。

自分の波動が変わらなければ、そこへは行けないし、見えないという事では「多次元性」のそれとよく似ていますから、いつか実証される日が来るのだと思います。

私達個々の存在自体が、大いなるいちなる者自身の自己探求のひとつだとすれば、多次元世界も含めて並行する世界が幾つあってもいいと考えます。

そしてそのいちなるエネルギーであることを忘れてしまった自分や思い出した自分が無限大に存在し、未知の経験をしているかもしれないなんて、わたしにとっては楽しい話でしかありません。

いつ思い出すのかと思うと、ドキドキもんです。

自分の意思と波動で少しずつパラレル世界を移動しながら、気付けば他の次元にまで移動している。

それがアセンションへの道のりなのかもしれません。

カオスが終焉に向かう今の時期、少しずつなんて悠長なことを言ってる場合ではないそうですが、無理してリバウンドするよりは、ど~んと構えて脳天気なマイペースのほうが、理想なのではないかと思うことがあります。

いずれにしても、パラレルを移動するには自分の意思以外に頼れるものは無いようです。

救世主や英雄が最高の世界を創ってくれても、その世界を満喫するには「期待」というネガティブを昇華し、自分もその世界の波動に共振していなければ、そのパラレルワールドへは移動できないことになります。

また、無償の愛から逸脱した義務感や正義感で他人に大きく介入し、考えを変えさせてまで自分の世界を創ろうとしても、先に自分の波動が変わっていなければそのパラレルから移動することはできないでしょう。

まわりが変わらなければ世界が変わらないと思っているあいだは、自分の関与によって世界が変わったように見えたとしても、変化していない自分の波動が創りだす世界は、また別のかたちでネガティブが繰り返されるだけという事になります。

現実を創造する源として、残されるのは自分の意思しかないことになりますが、私達はすでに自分の波動に同調した100%ピュアーな世界にいるのだと思います。

「左脳深層部」にある概念、信念、そして感情野、あるいは魂の思いがそのまま具現化しているようです。

それは「左脳」の仕業ではない、と相変わらず「左脳浅層部」は言っていますが、自分の本質を忘れ、世間を詰め込んだだけの「左脳」を自分と思い込んでいるあいだは、コントロール不能がいつまでも続きます。

そうなると、支配による不自由な世界から抜け出せないのは、洗脳による自縛だと捉えた方がいいかもしれません。

このことも含めて「左脳」が好む外側への期待、義務、正義にはいつも疑問を呈することになってしまいます。

「今」を感じることができない「左脳」とは、しっかりと折り合いを付ける必要がありますね。

そのうえで、自分が一番好ましいと思うパラレルに移動する。

そして、無限大の自由と可能性を持つ世界がそこに広がります。

それは、あなたも私も、大いなるいちなる者そのものなのですから。

今ここにいる私よりも、もっともっとポジティブなわたしの世界、想像しただけでもワクワクしてきます。

って言ってる間に、ほらっ、「今」その世界に移行しちゃいました。(*´∀`*)

私である大いなるいちなる者が創ったこのリアルなパラレルホログラム。

波動であるホログラムが無限大に広がるパラレルワールド。

私は、このパラレルを移動する中に多次元やアセンションがあるのだと捉えています。

そして、過去も未来もパラレルも全てが「今」と言う瞬間に存在していることを忘れてはならないと感じています。


「今」という瞬間を感じることが、ますます大切なものに思えてきました。


ちょっと深呼吸してみます \(^〇^)/(^。^)